意思と幸せについて。 | ccrocoeさんのブログ

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こころ

おもい 徒然 

向いたとき


✻ 過去詩集を差し上げます。興味ある方はご一報ください。


たとえば、右手を挙げたいと思う。
そのための筋肉を動かす指令が脳から伝わり、多くはそれを実行できる。
(詳しいことは分からないけれども)

人間の赤ちゃんは初めて立ち上がるとき、やはり『立ちたい』と思うのだろうか。
這うほうが身体的には楽だし安定感もあるだろう。直立は不安定な上に視線が急に高くなるので
たぶん私たちが初めて竹馬に乗るときに抱くような、そんなタイプの怖さがあると思う。

しかし
文字通り七転八倒の末、彼らはほとんど間違いなく立ち上がることに成功する。
言い替えれば成功するまで諦めない。

(特別な理由が無い限り)


幸せなことだと思う。
希望に対して可能性がある幸せ。
努力できる幸せ。


仮に、直立するための機能になんらかの不具合を持つ場合
たぶん赤ちゃんは立ち上がろうという意欲までは同じように抱くけれど
己の負ったリスクに気付いたとき、挑戦を止めるのではないだろうか。

学ぶちから 悟る賢さ 。

哀しみや悔しさという感情を知らないうちにも、やはりそれに似た想いは抱くかもしれない。

学ぶちから 悟る賢さ。

大人になると、執着や欲やわがままに支配されて
むしろ長く苦しむのかもしれない。
それを美化する社会でもある。

赤ちゃんの『諦めない』と一部の大人の『諦めない』は
それを支えるエネルギーに違いがあるような気がする。


負け惜しみではない、と敢えて前置きさせてもらう、
努力できることは間違いなく幸せだ。
けれど
立ち上がる赤ちゃんが幸せとは限らないし
不可能な赤ちゃんが不幸だとは、限らない。
真実に気付き、認め、受け入れることができれば、誰にでも幸せは訪れる。


‥ような気がするけれどもわたしは
まだそれを受け入れていない
たぶん。