昨日も地震があった10㎞の深さで、10日の日曜日にも・・・。
震源は大阪府の北部、内陸部の地震なので大陸のプレートとは関連は無いと言うが・・・。
阪神淡路大震災も内陸部地震、古くは豊臣秀吉の伏見城が崩壊した地震も内陸部・・・。
心配してもどうしようもない事であるが・・・。
材の事で。
昨年12月頃に採取した材。
右・矢竹、左・女竹。
二三日前、雨に打たれる前に取り込んだ。
竹酢液とキンチョールを噴霧、カミキリムシの防虫だが半分は気休めかな・・・。
矢竹と女竹が混生している所で採取した材です、採取は僅かですが想うところがあって・・・。
矢竹と女竹は節部の姿が違いますね、芽の大きさも違います。
女竹は竿材としては’丸節’とも言われてますが、丸節にも種類がある様です・・・。
女竹は太い材があります、アユ竿にも使われて、軽さが必要な時には矢竹や淡竹と同じに’うきす’竹として使われてる様です。
へら竿に’うきす’としては強度的に使えませんが、同じ太さの矢竹と比べて軽い材が多いです。
何故女竹?。
材の軽さで長尺の手元・元上に使えるのではと、節が高いので竿の中に仕舞う事が無い手元・元上に。
大阪竿に元や元上に女竹を使ったへら竿や鯉竿が有った様に思います、大昔の記憶ですが・・・。
竿の材には、何時も材の硬さが必須と言ってます。
良く古竹が硬いと言われてます。(弧舟竿の説明にも)
古竹は硬いですが、硬いのは同じ薮の中の竹同士で比べた場合です。
採取場所が違えば古竹でも柔らかい藪の材は柔らかいですから竿として使えません。
以前東峰親方が言われてました、「硬い竹は若くても硬い」と。
材を採取していればその通りでした。(へら竿は三年物として、先述の’うきす’竹は当歳物です)
別に、「硬い材は枝も硬い」とも言われてて、その通りです。(矢竹も高野竹も)
材の採取時は、枝の硬さも確認します、古竹も採取します、硬さの点で。
弧舟竿の古竹ですが・・・。
竿材は大阪の竹材店で求めてられていたとの記述があります。(山村聰著・釣りひとり)
採取も試まれたが上手くいかなかったとも?・・・。
竹材店では産地(採取地)が色々だったでしょうから、硬さを求めたら必然的に古竹に成ったと思います。
脇銘の’佐々波’は軽妙な若竹を使用と言われてますが、選別時の硬い若竹を使ったのか?・・・。
古竹は、風雨等での竹同士の擦れや傷と竹肌の劣化で汚い材が多いです、保管中に枝芽が有る節の目割れの発生等もあります。
古竹全てが同じでは無いです、材に依り色々です・・・。
段巻きの考案も古竹故ではと、弧舟竿で節巻き部より出て割れが見える竿を見ました、割れ部分は透明材で厚く補修されてました。
弧舟竿の古竹使用は、硬さの追求からで、竹材店での選別では若竹の良材が少なかったからではと推測します。
比べて、当時の紀州での矢竹の選別前の年間購入数は何万本だったか想像できません・・・。
紀州では若竹で硬い材が十分入手出来ていたと思います。
ただ東峰親方は、「今のへら竿の元を創ったのは、先代弧舟さんだと言われてました」。
生地組の考え方や方法が紀州と弧舟竿では違っていたのか?・・・。
竹竿は、その後の紀州竿作者の検索・研鑽で竹竿の調子を手に入れたと想います・・・。
材に付いて、真竹は滋賀の竹屋さんの持ち山の真竹を購入していた時期があります。
竹屋さんの話も含めて又、‘材・考Ⅱ’を書きたいと・・・。