前々から、何とかまとめられないかと考えていた事があります。

それは、知っているようで意外と知らないお隣の国の近現代史を、ドラマや映画を通して流れを掴めないかという企て。

 

何処まで可能かは分かりませんが、とりあえず今回、始めてみようと思います。

尚、今回は説明の都合上、ややネタバレ気味となる事を予めご了承ください。

 

 

どの時点を基点としようか迷いましたが、やはり此処かなあ。

 

ソウル戦争記念館前に建つ「兄弟の像」。

朝鮮戦争( 6・25 戦争)で北の兵士となった弟と、南の兵士となった兄の再会。

 

「兄弟の像」とは状況が異なりますが、戦火に引き裂かれた兄弟というと、映画「ブラザーフッド (原題; 太極旗を翻し)」( 2004 )が連想されます。

強制的に徴兵された弟ジンソク(ウォンビン)を守るため、兄ジンテ(チャン・ドンゴン)もまた兵役を志願する。

 

凄まじい戦闘の中、危険な任務に身を投じていく兄と、その姿に戸惑うジンソク。

2人の溝が決定的になった時、さらなる悲劇が彼らを待ちかまえるのだった…

 

映画.com 「ブラザーフッド」解説より

https://eiga.com/movie/1313/

 

 

1950 年 6 月 25 日、

「朝鮮人民軍」(以下; 北朝鮮軍)が突如 38 度線を越えて侵攻を開始。

朝鮮戦争が勃発します。

 

韓国軍は為す術も無く後退。

李承晩(イ・スンマン)大統領は批判勢力に対する大規模粛清 *1 を命じ、早々にソウルを放棄し水原(すうぉん)に脱出。

*1 ; 代表的なものが「保導連盟事件」

共産主義者とみなした人物を管理する「国民保導連盟」登録者を始め、北朝鮮軍に呼応する危険性ありとした人物・集団を処刑。

犠牲者は 20 万人とも 114 万人ともいわれ、正確な実態は未だ不明。

 

この事件は上記「ブラザーフッド」にも描かれ、兄弟が入隊する理由に影響を及ぼしています。

 

6 月 28 日、北朝鮮軍がソウルを占領。

ソウル戦争記念館、「漢江(はんがん)防衛線戦闘」のジオラマ展示。

 

ほぼ同じ位置から見る、現在の漢江鉄橋。

 

この時期については以前、記事にしました。

 

その後も北朝鮮軍は攻勢を続け、7 月 7 日に急遽編成された「韓国軍・米軍を主体とする国連軍」 (以下;国連軍)は、南東の慶尚道 釜山(きょんさんど ぷさん)周辺に押し込まれてしまいます。

 

1950 年 9 月 10 日、

国連軍は劣勢を打開すべく、仁川(いんちょん)上陸作戦 (クロマイト作戦)を敢行。

 

9 月 15 日、

仁川上陸作戦で最も知られた一枚の写真。

レッドビーチ(現; 仁川駅西側)の岸壁を先陣を切って登攀する、米軍海兵隊ロペス中尉。

 

仁川旧市街、虹霓門(ほんいぇむん)に残る銃爆撃痕。

 

現在視点から考えると、仁川上陸作戦にはいくつもの疑問点が浮かびます。

 

仁川周辺の海は潮差が非常に大きく、干潮時には延々と干潟が広がります。

仁川空港に向かう空港鉄道( A'REX )から見える、広大な干潟。

 

伝説的メロドラマ「天国の階段」( 2003-04 SBS )で、若いハン・ジョンソ(左 パク・シネ)とチャ・ソンジュ(右 ペク・ソンヒョン)が戯れるのも、仁川・舞衣島(むいど)の干潟。

 

 

こうした海域地形のため作戦艦隊の航路が限定され、守備態勢を固められたら接近すら困難となります。

黄色が目標地点、青線が航行可能な水道。

 

しかも上陸が可能なのは、潮位が最も高い大潮の満潮時のみ。

従って作戦実行日が 9 月 15 日の 07:00 か 19:00 前後と、時間まで特定可能。

これでは奇襲の有利性が無い(実際の上陸もこの日時)。

 

当時の米軍上層部でも同様の反対論が大勢を占めていましたが、その方針に逆らい、仁川上陸作戦を敢行したのが、国連軍司令官ダグラス・マッカーサー陸軍元帥。

マッカーサーといえば、非常に政治的な軍人で目立ちたがり屋。

しかし、太平洋戦争時はフィリピン担当で赫々たる功績は無し。

また、フィリピンへの野望から台湾進攻を主張し、「 Iwo Jima 」や「 OKINAWA 」に関与出来ず。

 

九州に上陸するオリンピック作戦、東京を制圧するコロネット作戦。

統合作戦名ダウンフォール作戦 (滅亡作戦)を計画するも、実行前に終戦。

 

ダウンフォール作戦については、以前記事にしました。

 

マッカーサーは日本の占領統治のトップ、連合国軍最高司令官としての成果を掲げ、1948 年の大統領候補選(予備選)に出馬するも惨敗。

 

更にはかつての部下、10 歳年下のドワイト・D・アイゼンハワー陸軍大将が(欧州)連合国遠征軍最高司令官として、 1944 年 6 月のノルマンディ上陸作戦 (ネプチューン作戦)、パリ解放に至るオーヴァーロード作戦を成功させ、大統領候補と目されるように。

 

後にアイゼンハワーは 1952 年の大統領選(本選挙)で、34 代大統領に就任。

この時マッカーサーは、予備選段階で殆ど泡沫候補扱いでした。

 

こうした事実から透けて見えるのが、「俺はどーんと仁川に上陸し、ソウルを解放に導いた英雄として『凱旋』してやる」という野望。

 

マッカーサーの勝算は、北朝鮮軍が「釜山防衛を重視する国連軍は 38 度線には来ない」と考え、かつ水上/航空兵力は脆弱であるという希望的観測に基づくものでした。

それを「勝負師の勘」というオブラートに包み、作戦実行に打って出ます。

 

実際は、北朝鮮 *2 の後ろ盾である中国とソ連が 38 度線、特に仁川への直接攻撃があり得る *3 と再三警告していたにも関わらず、釜山攻略(完全制圧)に逸る北朝鮮側が、その警告を無視していただけでした。

*2 ; 「北朝鮮」

正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」、以下「北朝鮮/DPRK 」と表記

 

*3 ; 「仁川への直接攻撃があり得る」

中国やソ連は、日本での作戦準備状況をかなり正確に把握し、ソウルへの最短地点である仁川上陸の可能性が高いと予測していた。

 

仁川上陸作戦は、映画「オペレーション・クロマイト」( 2016 )に描かれました。

ダグラス・マッカーサーの指揮による「クロマイト作戦(仁川上陸作戦)」を描いた韓国製戦争アクション。

 

1950 年、南への侵攻を進めた北朝鮮はソウルを陥落し、朝鮮半島の大部分を支配下に収めた。

連合国軍最高司令官マッカーサー(リーアム・ニーソン)は劣勢となった戦局を打開するため、仁川(インチョン)への上陸作戦を計画。

 

周囲から猛反対を受けた無謀な作戦を成功へと導くには、諜報部隊として北朝鮮軍に潜入したチャン・ハクス大尉(イ・ジョンジェ)にかかっていた。

 

映画.com 「オペレーション・クロマイト」解説より

https://eiga.com/movie/87468/

 

仁川上陸作戦を描いた映画といえば、「インチョン!」( 1982 米・韓 )もあります。

巨費を投じ、スターを揃えて製作するも全くふるわず、「史上最大の赤字作戦」と揶揄される程の怪作でした。

 

国連軍は仁川上陸作戦の陽動として、別の地点にも攻撃を加えます。

こうした陽動作戦については、「長沙里 9.15 (原題; 長沙里、忘れられた英雄)」( 2019 )で描かれました。

 

但し、実際に行われた「長沙洞奇襲上陸」は、釜山橋頭堡(国連軍の防衛線)確保を巡るものであり、仁川上陸作戦との関連は薄い、または無いとする見解が主流です。

映画はあくまでもフィクションです。

北朝鮮の猛攻を受けた韓国軍が戦況を打開するためマッカーサー将軍の指揮下で計画したクロマイト作戦(仁川上陸作戦)。

奇襲を成功させるため、軍上層部は無謀とも言える陽動作戦を発動する。

(註; 上記記述参照)

 

イ・ミョンジュン大尉(キム・ミョンミン)らが率いる訓練期間わずか2週間。

平均年齢 17 歳の 772 人の学生兵たちは「長沙里(チャンサリ)に上陸せよ」との命を受ける。

 

しかし、彼らに支給されたのは使い古された武器とわずかな弾薬、最小限の食料だけだった…

 

映画.com 「長沙里 9.15 」解説より

https://eiga.com/movie/92451/

 

 

何だかんだと言っても、マッカーサーの目論見は大当たり。

青矢印、仁川に楔を打ち込んだ事により、右下の丸囲み、釜山橋頭堡に押し込められていた国連軍が反転攻勢を開始します。

上記、長沙洞(長沙里)は丸囲みの上、9 月 15 日と書かれたあたり。

 

9 月 28 日、国連軍はソウルを奪還。

翌 29 日、マッカーサー、李承晩らがソウルに華々しく「凱旋」します。

 

マッカーサーは仁川上陸後、ソウル奪還まで 5 日もあれば十分と豪語したものの、北朝鮮軍の頑強な抵抗に遭い、実際には 3 倍近い 2 週間を要しました。

太平洋戦争時、東京を制圧するコロネット作戦立案の際にも、作戦完了まで10 日と断言。

どうやら大言壮語も技の内のようです。

 

得意の絶頂にあるマッカーサーは、38 度線を越えて北進するよう国連軍に指示。

狙いは北朝鮮軍の殲滅。

 

10 月 20 日、北朝鮮が臨時首都を置く平壌を制圧。

10 月 26 日、中朝国境の鴨緑江に前線が到達と、快進撃を続けます。

(上記図参照)

 

しかし、この攻勢が全く異なる事態を引き起こします。

 

鴨緑江を挟み、国連軍-西側陣営と直接対峙する事態を到底容認出来ない中国は、国連軍が 38 度線を越えた事により本格介入を決意します。

但し、表向きは「中国人民志願軍 (義勇軍)」としての参戦。

 

更にはソ連が、中国を経由した軍事支援を強化します。

 

朝鮮戦争は位相が変わり、当時最新鋭のジェット戦闘機、ソ連製 MiG-15 などが登場する、東西陣営の全面(代理)対決に。

 

ソ連製 132mm BM-13 自走式多連装ロケット砲「カチューシャ」。

 

ソ連が供与する最新兵器と、前線に 20 万人、全体では 100 万人規模といわれる圧倒的な兵員を擁する中国の参戦は、朝鮮戦争を先の見えない泥沼へと引きずり込みます。

 

仁川上陸を華々しく成功させ、反転攻勢を遂行したマッカーサーは、中国、ソ連という大国の虎の尻尾を思い切り踏んづけてしまったのでした。

 

ああ、記事のほうも際限無く長い泥沼と化している…

つづきは、あるのだろうか?