前回まで、
地下鉄3号線で忠武路から安国へ。趣のある石垣塀に沿って進み、
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厄除け札、左右対称の「立春大吉」が貼られた門から中へ。
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やって来たのは「雲峴宮(うにょんぐん)」。
19世紀末、第26代王高宗(こじょん)の父として朝鮮王朝最後の時代を牛耳り、怪物とまで呼ばれた「興宣大院君(ふんそんてうぉんぐん)」(以下「大院君」)の邸宅というか本拠地でした。
 
おっと「守直舎(すじくさ)」、警備詰所にご挨拶しておいた方が良いかな?
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正式な王宮ではない、王の父の私邸に警備兵が常駐とは不思議ですが、高宗の実質上の摂政として王朝を支配した、大院君の権力の大きさを物語ります。
 
守直舎は1998年の再建建築ですが、警備兵が待機していた頃を再現しています。
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敷地内を更に仕切る塀と門があります。
往時、この門から中に入れたのは、極々限られた人達だけだったのでしょう。
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門の中に建つのは1864年竣工の「老安堂(のあんだん)」。
舎廊棟(さらんちぇ)として、大院君の執務室兼応接空間でした。
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付き人の控える行閣(へんがっ)が周囲に配置された、王宮クラスの造りです。
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「誰か居らぬか!」と呼ばれたら、さっと飛び出したのでしょう。
って時代劇の観過ぎ(^^ゞ
 
板間があったりして、やはり人が控えていたのでしょうか。こんな所も王宮クラス。
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舎廊房(さらんばん)=主室を覗くと、うわっ、今も筆を執る大院君が…
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人形展示って、ちょっと怖いぞ。
この後もあちこちに時を止めた人形さんたちがいて、びっくりさせられました。
 
雲峴宮の内棟(あんちぇ)=母屋、こちらも1864年竣工の「老樂堂(のらくだん)」。
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老樂堂は、建物の随所に装飾組物を使う贅沢な造りが特徴的です。
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1863年に次男、高宗を第26代王として即位させた事により可能となった贅沢さなのでしょう。
内棟とはいえ生活だけではなく、大院君一家の行事の場でもあったようです。
1866年には、高宗と明成王后の結婚式もここで行われました。
でも、王の結婚式を王宮ではなく、実家で行なうってちょっと奇妙な感じがします。
 
老樂堂も周囲を行閣が取り囲む、王宮の内殿に匹敵する配置だとはいえ…
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まあ、色々言っても、厨房に控える人形さんたちのインパクトには勝てません(^^ゞ
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ここでも微妙に違和感を覚えるのが、時代劇でお馴染み、左の緑の唐衣(たんい)を着用した尚宮(さんぐん)さん。
宮廷女官の管理職であり、本来王宮勤めの尚宮さんが、(王の父とはいえ、建て前上は)私邸扱いの家にいるって…
 
内棟の老樂堂の更に奥に建つ、別堂(ぴょるだん)にあたる「二老堂(いろだん)」。
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二老堂は、舎廊棟の老安堂、内棟の老樂堂よりも少し後、1869年の竣工。
大院君の妻、驪興府大夫人閔氏(よふん ぶでぶいん みんし)を中心とした、家族の生活の場だったようです。(権威付けのための長い肩書、読めませんって(^^ゞ
 
王朝政治が自らの権威付けのため、ビジュアルを重視するのは理解出来ますが、帝国主義が台頭する19世紀末にこれだけの労力を費やしたのは、今の感覚からすると、どうしても「浪費」の文字がちらついてしまいます。
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まあ、大院君が最も心血を注いだのが、16世紀末の文禄・慶長の役の際に14代王「宣祖(そんじょ)」が放棄した、巨大な正宮「景福宮(きょんぼっくん)」の再建事業。
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そのために国家予算に匹敵する費用を注ぎ込んだのですから、私邸のちょっとした贅沢なんて物の数では無いのかもしれません。
でもどうしても、時代錯誤という4文字がちらついてしまいます(^^ゞ
 
しかも、大院君は高宗の実質上の摂政でありながら殆ど宮中に上がらず、この私邸からあれこれ画策していたようで、まさしく「院政」ってやつだなあと思うのでした。
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こうした政治の私物化がもたらした影響については様々な見方が出来ますが、近代化を妨げる要素のひとつとなった事は確かな気がします。
まあ、歴史に「たら・れば」は無い訳ですが。
 
ともあれ激動の19世紀末の様々な出来事の発信地、雲峴宮なのでした。
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そういえば、塀の模様の中に文字が隠されているというのですが、分かります?
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にらめっこをしたけれど全然駄目でした。
後から調べたところ、中央の四角い部分が左から「樂」、「歳」、「萬」、「寧」、「康」…
縁起の良い漢字が、全部で10字並んでいるそうです。
 
桃色が現在の雲峴宮。全盛期には空色の部分が全て敷地だったようです。
もっと広かったという説もあるようで、「塀が数里も続く」と言われたとか。
 
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雲峴宮にいると気になるのが、隣のフレンチルネサンス様式の華麗な洋館。
かつては雲峴宮内の建物で、上の地図にも「雲峴宮洋館」と記載されています。
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雲峴宮洋館は1907~12年頃の竣工。
かの迎賓館赤坂離宮を設計した宮廷建築家、片山東熊が設計に関わったとされています。
大院君の孫、李埈鎔(い・じゅんよん 李埈公[いしゅんこう]殿下)が暮らしました。
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上の地図にもある通り、この洋館は現在大学の構内にあります(しかも女子大)。
 
ここでは2006年のドラマ「宮(くん)」、2012年「キング~Two Hearts」などが撮影されました。
 
しかし2016年のヒットドラマ「トッケビ」の撮影地として知られるようになり、見学者が急増、部外者の構内立ち入りが制限されてしまいました。
 
なのに建物正面の写真を撮る事が出来たのは、幸運な偶然からでした。
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雲峴宮は本来入場料が不要なのですが、有料だと信じ込んでいて券売所を探してちょっとウロウロしてしまい、大学入口の係員さんに、
「すみません、雲峴宮の入口は何処ですか?」と尋ねました。
 
すると係員さん「え、雲峴宮洋館?本当は駄目なんだけど、まあ今なら。ちょっとだけだよ、すぐに戻ってきてね。」と完全にすれ違うやり取り(^^ゞ
(断片的に聞こえた単語を強引に脳内解釈)
 
にっこり笑って「ありがとうございます。すぐ戻ってきます」と写真を撮りに急ぎます。
実は「トッケビ」は観ていないので、感動半減な奴ですが、幸運に感謝。
 
入口に戻り、係員さんにお礼を言うと「雲峴宮も見て行ってね。入口はすぐそこ。」と必要な情報も教えて貰えたのでした。こうして記事の冒頭に戻ります。
 
全く、何処に行っても相変わらずふらふら~です(笑)