最近、SNSでの塾の行き過ぎた広告が

目に余るため、老婆心で書きます。

嫌な方はスルーしてくださいね。

 

 

私は、高額な進学塾を利用すること自体を
否定したいわけではありません。

 

海外大学の出願や国内の総合型選抜には、
一般入試とは違う知識が必要です。

 

情報を整理してもらったり、
提出物の期限を管理してもらったり、
第三者からアドバイスを受けたり。

 

そうしたサポートが
助けになることもあると思います。

 

 

 

 

 

実際、わが家も大学受験を経験しているので、
「誰か詳しい人に伴走してもらえたら」
と思う親の気持ちは、よく分かります。

 

ただ最近、
少し気になることがあります。

 

子どもが何に興味を持ち、
どんな経験をして、
そこから何を感じたのか。

それは、そもそも
誰の手で言葉にするものなのだろう、と。

 

 

 

 

 

そうした進学塾を利用したことのある、
ボーディングスクールの先輩ママと
話したときのことです。

 

彼女は、こう話していました。

 

「これまで本人がやってきたことがあれば、
エッセイは学校でも見てもらえる。
あんなに高い塾を利用する必要はなかったと思う」

 

そして、受験を終えた息子さんから

言われたという言葉にハッとしたそうです。

 

 

 

 

 

「やればお母さんが安心する

と思ってやっていたけど、

家のお金も、僕の時間も、
無駄にしてしまったと思う

 

 

 

 

 

もちろん、
これは一つの家庭の経験です。

 

利用したことで、
自分では気づけなかった可能性を発見できた子、
必要な支援を受けられた子も

たくさんいると思います。

 

親は、もちろん子どものためだと

思ってお金を払います。

 

でも、もしかすると、
子どものために買っているようで、
本当は親自身の安心を
買っている

という家庭も少なくないのかもしれない

と思いました。

 

「高いお金を払ったのだから、
きっとそれだけの価値があるはず」

そんなふうに思いたくなる気持ちも、
私にはよく分かります。

 

けれど、
失う可能性があるのは、
お金だけではないという友人の話を聞いて

改めて考えてしまいました。

 

 

 

 

 

子どもが何に興味を持ち、
どんな経験をして、
そこから何を感じたのか。

 

その一つひとつを、
まだ本人が十分に理解しないうちから、
大人が「入試に使えるかどうか」で
選別しているのではないか?

 

 

 

 

 

本来は、
子どもが自分の過去を振り返り、
自分を知り、
自分の言葉を見つけていく時間
です。

 

うまく言葉にならない思いを抱え、
迷いながら自分なりの答えを探す。

 

誰かに評価されるためではなく、
自分が本当に興味を持ったことに
時間を使ってみる。

 

「合格への戦略」から外れた、
一見、役に立たないことに夢中になる。

 

そんな時間も、
子どもが自分をつくっていくうえでは
必要なのだと思うのです。

 

高額な塾に任せることで
失われるかもしれないのは、
子どもが自分自身で考え、
自分の言葉を獲得していく、
その過程
なのかもしれない・・・と

危惧しています。

 

 

 

 

 

「このままでは間に合わない」
「普通の経験では評価されない」
「専門家の戦略がなければ、志望大学には届かない」

 

そんな言葉を目にすれば、

親が不安になるのも無理はありません。

 

子どもの可能性を狭めたくないと思うほど、

「今、何かを与えなければ」と焦ります。

 

けれど、

その不安に促されて購入しようとしているものは、

本当に情報や指導だけなのでしょうか。

 

 

 

 

 

いつの間にか、子どもの経験だけでなく、

興味や将来像、

さらには「自分は何者なのか」

という物語まで、

親がお金で整えようとしてはいないでしょうか。

 

 

 

 

 

問われているのは、

どの塾が合格者を何人出したかだけではありません。

 

そのサービスが、

子ども自身の思考を助けるものなのか。

 

それとも、親の不安を刺激し、

子どもの人生を合格しやすい物語に

加工するものなのか。

 

そこを見極める保護者のリテラシーが、

今まで以上に問われているのだと思います。