「………相川莉奈から、退部届けを受け取った」

烈貴が額の包帯とガーゼを取り去った、月曜日の放課後。
音楽室で顧問教師の渡辺は、吹奏楽部員達を前に淡々と伝えた。

「ファースト・クラが一人抜ける。
………………吉田」

「……………ハイ?」

「おまえ、今日からファースト」

セカンド・クラリネットの三年生、吉田翡翠(ひすい)が、私が?という表情で目を丸くする。

「譜面、渡しとく」

ポツリと一言言って、渡辺は音楽教官室へ消えた。

おかげで、セカンド・クラリネットの方が四人から三人へ減った。

部員の多くは思った。

(あんなことして、ここに居られるわけない)

(厄介者が消えた、良かった)

莉奈の停学が解けるまで、まだあと10日以上あった。
退部届けは学校宛に郵送で送られて来たらしい。

音楽室の中では唯一人………………
烈貴だけが、莉奈の真の退部理由を知っていた。

烈貴は。
莉奈と逢った日曜日を思い出していた。

(あたし……部活辞める。
どうせ、ワタナベからも辞めろって言われるから。
いいんだ……もう未練も無いし。
こうして………あんたにも気持ち伝わったから。
…………あの子にも、もう会いたくないし)

ベッドで、莉奈は。
烈貴の裸の胸板を人差し指でなぞりながら、うつろな瞳で呟いていた。

初めて経験した逢瀬。

まさか、莉奈とあんな関係になるとは…………

「先輩………先輩!」

ビクッ!

飛び跳ねるように椅子から浮き上がる烈貴。

「………まだ、痛むんですか?」

声をかけたのは、隣りに座る美葉だった。
心配そうに見つめる純粋な瞳が、烈貴の胸に痛みに似た疼きを与える。
美葉とは、未だ先輩後輩の域を超えてはいない………
なのに。
まともに美葉の顔を見れないのは………何故だ?

気が付くと美葉が、包帯から解放されたばかりの烈貴の額に。
そっと手を当てている。

「替わってあげたい………ホントは、私が受けたことなのに」

美葉の瞳が憂いを帯びてくる。

「!」

あの時と同じだ。
自分を見上げる美葉の顔が、莉奈と重なる!

烈貴は怯えた。

「………だ、大丈夫だよ。
ちょっと疲れてるだけさ」

美葉を安心させようと努めて笑顔を見せようとするが、どうしても引きつってしまう。

程なくして渡辺が教官室から戻り、ファースト・クラリネットへ配置換えされた吉田に譜面を渡す。


「………あと5日。
もし、おまえらが新たに自由曲を選べなかったら、ザンパに本決定する。
それまでは今まで通りザンパの練習だ!」

渡辺は。
莉奈が退部したことに対しても。
そして……烈貴が負った怪我に対しても、特に意にも介さない様子に見えた。

しかし…………渡辺の胸の内には。
とある決心があったのだった。



その日の部活は、18:30前に終わった。

美葉は、烈貴を駐輪場まで送った。

「………だいぶ、雰囲気変わりましたね。
このバイク」

駐輪場のライトに照らされ輝く、RG50Eの青いタンクの表面を。
白くしなやかな美葉の指が、愛おしげに撫でる。

烈貴は、その仕草を目の当たりにし。
まるで自分の裸の背中を愛撫されている感覚を覚え。
思わず、その美葉の手を背後から掴んだ。

ハッと振り返る美葉。

二人の身体が密着する。

美葉は莉奈と違い、小柄だったが。
女性的な丸みを帯びたシルエットをしていた。

烈貴の鼓動が早くなる。

(俺は…………何をしようとしてるんだ!?)

振り返った美葉の耳が、赤くなっているのがわかる。
眼が、うつろになっている。

「…………先輩」

烈貴は息を飲み込み。
美葉の手を掴む力を緩め。
絞り出すように呟く。

「車のボディと同じで、汚いから」

二人の指が絡む。

烈貴は、自分でも思いもよらぬ言葉を吐く。

「………美葉ちゃんの。
綺麗な指が………汚れちゃうから」

この一言で。
息が弾んでしまう、美葉。

それは、ほんの数秒だったかも知れない。
しかし……この二人の体温を奥底から上げるには充分な時間であった。

美葉は背中に烈貴を感じながら、身を預ける。

「………先輩………気を付けて帰ってね…」

肩越しに切なそうな顔を向けながら。
そう言うのが、やっとであった。

おもむろに背後から抱き締められる、美葉。

「ふぅぅ………」

思わず眼を閉じる。



ビィィィィィン!
ビィィィィーーーーーー

校門の前にブルースモークを残し走り去る、RG50Eと烈貴を見送りながら。
美葉は妖しく、指をくわえる。



冷たい夜風にさらされながら、車上の烈貴は叫ぶ。

「………俺はッ!
…………俺は、ズルい男だッ!!」

タコメーターの針を、レッドゾーンに叩き込み。
烈貴は莉奈と違う、淡いシャンプーの匂いをした美葉の髪の感触を思い返していた。


続く

〈ズルい男・完〉

※文中の団体・組織名及び人名は実在するものと一切関わりありません
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