1977年発売(シビックGLとしては1974年)
日本製トミカ
「ホンダシビックGLラリー」
私目が、まだ10代にも満たない子供の時分であった1977年冬に購入し、現在まで保持する個体です。
この頃既に、トミカだけでもランチャストラトスHFラリー始めタイレルP34(俗に言う6輪タイレル)F1といった錚々たるモータースポーツ車を買い揃えていた私目でしたが。
それまでで最も衝撃を受けた一台とは、このホンダシビックGLラリーでした。

シビックGLという実車そのものは、当時のTVCMで知っていましたが。
当時、子供の脳には、ホンダ独自の誇るべきメカニズムである
CVCC=米国の大気浄化法改正案、いわゆるマスキー法を世界で初めてクリアした低公害型エンジン=を搭載し、世界を驚かせた車=などと、理解どころか関心すら覚えず露知らず。
ただただ、そこら辺を走っている丸っこい普通のファミリーカー………くらいにしか思っていませんでした。
子供のくせに、このシビックという車をディスっていたのです。
ナマイキな!!
〈実車の仕様〉
ホンダシビックGL(SG型)
※シビック初期型は1972年発売
1974年よりCVCC採用
• エンジン:CVCC水冷直列4気筒横置OHC12バルブ
• 総排気量: 1,488 cc
• 最高出力: 63 PS / 5,500 rpm(グロス値)
• 最大トルク: 11.0 kg・m / 3,500 rpm(グロス値)
• ボア×ストローク: 74.0 mm × 86.5 mm(ロングストローク型)
• 圧縮比: 7.8
• 燃料供給装置: 3バレル(3連)キャブレター

• 全長: 3,545 mm (標準モデルより約14cm長い)
• 全幅: 1,505 mm
• 全高: 1,325 mm
• ホイールベース: 2,200 mm
• 車両重量: 750 kg

 • 排ガス性能:有鉛・無鉛ガソリンのどちらでも走行可能で、触媒装置が不要
• 燃費・実績:米国環境保護庁(EPA)の燃費テストで1974年から4年連続で燃費ナンバーワンを記録
このトミカのギミックは左右ドア開閉、サスペンション。
ルーフには、後に販売のミニクーパーSラリー仕様にも採用のスペアタイヤ・タンク付きキャリア。
ホイールは1HGoホイール(1Hゴールド)。

………当時、ラリーというモータースポーツ競技を知ったばかりの子供であった私目は。
エレガントな容姿で高性能のスーパーカー、ランチャストラトスHFなどと比べ。日本車?
しかもファミリーカーで??
などと、行き付けの玩具店のショーケースでゼッケンを付けてスペアタイヤまで載っけてるシビックのトミカを見つけ、思わず固まってしまっていました。
「………こんな車でも、ラリー出れるの?」
よもや、よもや。

初代シビックはエコカーとしてのイメージが強かったのですが、モータースポーツの世界でも"FF(前輪駆動)は遅い”という当時の常識を覆す大活躍を見せ。
ホンダのレースDNAを証明する存在となりました。
ただし、レースやラリーで実際に主力として活躍したのはGLをベースにさらに走りを磨き上げたスポーツモデルであるシビック RSや、軽量な1200ccの標準モデル(SB1型)が中心でした。
GLに搭載されていたCVCCエンジンは排ガス対策に特化した複雑な構造=副燃焼室付き=だったため、純粋なレース用チューニングには向かなかった為です。
それでも初代シビックは、日本のモータースポーツの歴史にシッカリと足跡を刻んでいました!
1970年代から80年代初頭にかけて、富士スピードウェイで開催されていた非常に人気の高かったマイナーツーリングレースにおいて、初代シビック(SB1型)は大活躍していました。
当時のこのクラスは日産のサニーが圧倒的な強さを誇っていましたが、ホンダ研究所の社内クラブである
「チームヤマト」
が開発したシビックは、1981年と1983年にシリーズチャンピオンを獲得。
絶対王者だったサニーの牙城を崩す快挙を成し遂げました。
これが何を隠そう、後の
"FF最速シビック”
の原点となったのです!
また、今回の御題であるラリーに於いても勿論、軽量でキビキビと走るシビックは舗装路だけでなく悪路を走る世界でも高い戦闘力を発揮し、国内ラリーでもプライベーターに活用され。
なんと!
1979年(第47回)、1980年(第48回)と、あの世界ラリー選手権
モンテカルロラリーにも出場しています!!
ドライバー・コドライバーは当時、本田技研工業の社員であり国内ラリー界で活躍していた角地 功男選手と吉田 武久選手のコンビ。
使用車両は残念?ながらCVCCのGLではなく1.2Lのスポーツグレードである初代シビック RS(SB1型)ではありましたが、当時、日本の小さな大衆車であるシビックがヨーロッパの過酷な冬のアルプスを舞台にした伝統のラリー・モンテカルロに挑んだ例は極めて稀でした。
この御二人がプライベートで残したWRCモンテカルロ参戦の公的な記録があったからこそ、2026年のラリー・モンテカルロ・ヒストリックにホンダ学園の学生と共に。
あの元・F1ドライバーでありインディカードライバーである佐藤琢磨選手がシビックRSで挑戦・完走を果たすという、50年越しの壮大なドラマへと繋がることになりました。
ちなみに角地選手と吉田選手の御二人は、それから30年が経過した2009年にも、還暦を迎えた記念として当時の愛車と同じシビックRSでヒストリックラリーへ再び参戦を果たしています。
この型のシビックが………まさかのフィアット131アバルトラリーらと一緒に、モンテカルロラリーを戦っていたとは!!
そうとも知らず………幼い私目は。
このシビックラリー仕様を完全に"三枚目扱い”してイジりまくり、時には風呂まで持ち込んで遊んだり(笑)。
この外装がやや荒れ気味で、少々塗装の剥がれが見えるのは、決して塗装精度の悪さではなく。
1980年代初頭にガンダムプラモ=ガンプラにハマった際、当時発刊の模型雑誌・HobbyJapanの記事で知ったウェザリング(汚しや塗装剥がれの表現)のつもりで。
ワザとサンドペーパーで塗装を削り落とし、後で後悔して(笑)
プラカラーで白く塗り直した結果なのです(バカですねぇ笑🤣)!
今現在でこそ、ホンダシビックと言えば。
TypeRで世界最速FFカーの名を欲しいままにしている、れっきとしたスポーツモデルですが。
その始祖である、この1970年代シビックも既に、その兆候を現していた事実。
人は見た目ではない………いや、クルマも見た目ではない!?
故・本田宗一郎御大の、高らかな笑い声さえ聞こえて来る気がいたします!!