弊ブログを御読みくださる皆様。

HARIMAです。


この度も、小説「RG50E」という

私目のトレーニングに永らく御付き合いくださりましたこと、心より感謝申し上げます。


前作の「Kikaider Student」と同じく

主人公を17歳の高校生としましたが、これは意図したものではなく。

前作が近未来を想定したのに対し、今回は現実世界を描きたい………としたら偶然同い年となってしまいました。


RG50Eという、昭和の50cc原付バイクは実在し、ちょうど私がバイクに興味を持ち初めてから高校時代まで全般の時期に巷でよく見かけました。

私が高校の吹奏楽部にトロンボーンで在籍した時に、一学年上の男子のホルンの先輩が、このRG50Eに乗っていました。

特に改造もせず、ノーマルで通学に使っておられた真面目な普通の生徒でした。

この先輩に限らず当時私の周りでは、吹奏楽部員はじめ高校生は男子女子問わず、原付バイクで通学するのも極普通の光景でありました。

私にとって、バイクも音楽も恋愛も、青春の1セットです。


処女作となった「旅立ち」で原風景を発表させて頂きましたが、そこでも描きたかったのは現実そのもので。

今回も、あたかも"道徳の教科書”みたいなものを書くつもりはありませんでした。


そもそも恋愛感情というものは、"五感で感じる”ものだと私は思っています。

昨今、ルッキズムという極端に外見重視を助長する言葉が流行っているようですが、そこまでいかなくとも、相手が"清く正しい”ことを言っているから好きになる………というものでもないと思います。

よく「この人は優しいから好きになった」

というデータを見ますが、"優しい”だけで恋愛感情が湧く、というのも信じ難いものです。

そこに"優しい”プラス五感で何を感じるか?が合わさって初めて起こる現象に思います。

そして、それらはあくまで個人個人の好み嗜好が決めるものであり、我が国有りがちな同調圧力のごとく

「痩せてなければモテない」

「一般でいう美人でなくてはモテない」

というものでもありません。


しかしながら。

世間の所謂"恋愛小説”というものを私自身見渡した限り、そうした大事な部分を割愛……或いはタブー視した作品が多いことに気付くのです。

勿論、表現の自由というのはありますので、一見割愛されたかに見える部分を読み解かすのが醍醐味………というスタンスもあるのでしょうが、それを私は敢えて今回の「RG50E」では極力解りやすく表現したつもりです。


また、現実の恋愛というものは綺麗事だけでは済まされません。

結婚生活でも同じです。

端から見れば失笑もののエピソードであったとしても、当人達は真剣勝負の真っ最中なのです。

そして、その緊迫感というのは年金生活者の方だとしても、17歳の高校生だとしても、さして変わらないものではと思っています。


今回の執筆中に、こんな出来事がありました。

主人公の烈貴が、先輩の莉奈の誘惑を拒みながらも身体に"男の生理”が発生し、関係を持つに至ったことを悔やみ。

父親の正和から

「若いうちに失敗を経験しておけ」

と成長を促されるシーンについて、ある女性の読者の方から

「男のエゴだ」

「烈貴は最低のクズだ」

との、感想を賜りました。

勿論、小説に限らずSNSで発信する時は、批判・反発を受けることも有り得ることを承知ではありましたが、私は違和感を感じたのです。

この時の話中のエピソードは現実にも有り得ることで、まだ若い同士だから許せとは言いませんが話中で烈貴は未だ精神的にも肉体的にも成長途中ですし、誘った相手の莉奈も同じなのです。

その女性の読者の方も御自身で恋愛小説を書かれる方でした。

しかしながら、そうした烈貴達の"成長の物語”を看過出来ず「男のエゴ」だの「クズ」だのと攻撃する、この方は果たして御自身で実際に恋愛をしたことが有るのか?と疑問を持たざるを得ませんでした。


そもそも男女問わず人間というのはエゴと偏見の塊です。

それらが生活の為に妥協し合うことによって社会を営んでいるのが事実です。

今作品内で強烈?な個性を放っている烈貴の母親・明美には、ある意味女性の……というより母親の本性というものを浮上させてみました。

反発を承知の上で申し上げますが、私の知る限り世間の母親皆様全てではないにしても、多かれ少なかれ御自身のお子様を

"自分のもの”

として考えておられる方が目立ちます。

そして、それを御自身で自覚されていません。

かく言う私の実母もそうでしたし、それが原因で兄嫁とも不仲です。

また、そうした嫁姑関連に限らず、過去に友人達(男性)からも母親について同様の悩みを打ち明けられたことが複数回有りました。

作中でも明美が

「烈貴は私がお腹を痛めて産んだ、私の子なのに……」

という台詞を持つシーンがありますが、確かにそれは動かせない事実です。

ですが、その"動かせない事実”=原理を錦の御旗に振りかざすことで、夫・正和を"賊軍”に仕立て上げています。

この時点で、子を持つ夫婦は対等の立場では無くなるのです。


このように、ざっと母親という立場の悪口を言ってしまいましたが、これは前述した烈貴の性欲を批判した女性と私も同類ということなのです。


詰まるところ、男と女という性の違いから派生する問題というものの解決は永遠に不可能でしょう。


しかしながら、話を元に戻しますが。

そうした真剣勝負のせめぎ合いを繰り返しながらも歴史を重ねて来た人類の礎とは

"愛”です。

そして、それは決して上っ面の綺麗事ではなく。

人間の感じる五感を通して男女が交わり合って来た、遥か遠い過去から未来へも望む紛れもない証しです。


当初短編の予定だった今回の作品「RG50E」を延長させた理由というのも、単なる青春回顧のドラマに終わらせず、そうしたメッセージを込めたい欲求を押し出した結果でありました。

作中でも出て来ましたが、昨今では思春期の若者達が現実の異性から離れ、バーチャルの中で"自分の都合の良い”異性との擬似恋愛に夢中という話を聞きます。

それを客観的な楽しみで終わらせるか、その者の人生に多大な後悔を与えてしまうかは、今現在社会を生成している我々大人達の姿勢も影響させ得るかと思われます。



9月の雨の中で

HARIMA