職場の"女子会”から戻った夜、明美の機嫌はすこぶる悪かった。


「おやぁ?

早かったねぇ。

二次会は?」


「うるさいッ!!」


間抜け面で尋ねる夫・正和に、手を上げんとばかりに噛みつく明美。

鬼瓦のような表情そのままに、ダイニングキッチンのテーブルに座りこんだ。


自室から降りて来た娘・茉莉も、母の様子を怪訝そうに覗き込む。


「お母さん、具合悪いの?」


それに対して父・正和は、これまた間抜けなレクチャーをする。


「いやぁ、普段慣れない酒飲んだもんで、悪酔いしてんだろ」


そう言って正和は冷蔵庫から麦茶の入ったポットを出し、コップに注ぎ明美の前に置く。


それに目もくれない明美。



明美の頭の中には、由香から言われた言葉が渦巻き続けていた。


"イイ歳した高校生なんだから。

付き合うなんて普通だし。

そんなので、いちいち親の顔色伺うなんて聞いたことないわ"


"人ってね………みんな自由に生きていいんだよ”


(小娘が、わかったようなことを!

まさにアバズレの都合のいい言い分そのもの!!)


明美にしてみれば、由香のような考えこそが、この世に"不貞”を蔓延させる要因に他ならない………そう信じて疑いないものであった。


その怒りと屈辱に堪える様子の明美を、自室から降りて来ていた烈貴は父・正和と共に遠巻きに見ていた。


「飲み会で何があったか知らんが、"触らぬ神に祟りなし”……だな」


「………そだね」


…………と。

ダイニングから明美の怒号が飛ぶ。


「あんたたちッ!

明日が日曜だからって遊び呆けてないの!!

さっさと寝なさいッ!!」


クモの子を散らすように自室へ逃げ込む烈貴と茉莉と、ベッドへ飛び込み布団を被る正和であった。



翌日、日曜日。

秋の定期演奏会への練習の始まっている吹奏楽部の休日活動に出ている烈貴。

隣りには………いつものように美葉が居る。

4月に出会った頃は、まだぎこちないコミュニケーションだった二人も、今では椅子が付くか?という程近くなり。

当初敬語を使っていた美葉も、まるで姐御のようなタメ口を交わす。

烈貴の態度も、既に先輩のそれではなく。

いかにも良きパートナー………といった風情となっていた。


定期演奏会=定演での曲目はコンクールで演奏したものの他に、比較的ポピュラーで一般でも知られた曲が選ばれることも多い。

この年の◯✕高校吹奏楽部の定演での演奏曲に選ばれたものの一つに、米国のシンガーソングライター/音楽プロデューサーであるバリー・ホワイトが1973年に発表したインストロメンタル曲

「愛のテーマ(Love's Theme)」

があった。

そして……この曲を推薦した張本人こそ、烈貴である。

烈貴が何故、この`70年代の曲を知っていたかというと。

父・正和が所有していたレコード・コレクションの中で最もパワープレイされ記憶に残るばかりか、その哀愁を帯びながらも華やかで爽やかな曲調に子供ながらに魅せられていたからである。

何を隠そう、烈貴に初めて交響音楽の感動を教え、演奏への興味を覚醒させた一曲こそが、このバリー・ホワイト「愛のテーマ」であったのだ。


顧問の渡辺も


「やりたいってんならブラバン用の楽譜取り寄せよう」


と協力的だ。


烈貴にとっては………この曲を選んだ意味が他にも有った。


この年のシーズン、吹奏楽部内では様々な出来事が有ったが、烈貴にとって常に物事の中心に有ったテーマこそが

「愛」

であった為だ。


美葉との出会いと莉奈との出来事への葛藤、そして……美葉と気持ちを確かめ合い、困難を克服した先に有った県大会までの道筋。

かくして、それを支え続けた部長・前田と吉田翡翠の三年生のロマンスという事実。


若き烈貴に「愛」というものを教え、打ち震え涙を流させた日々。


バリー・ホワイトの「愛のテーマ」は、その熱く美しき青春の時代を象徴しているかのような曲に他ならなかった。



だが………

その讃えるべき息子の成長を、偏った信念を以て真っ向から否定する母親、明美。


「烈貴!

来なさい!!」


ダイニングテーブルから呼ぶ声に自室から顔を出す烈貴。


「なに?」


「いいから、来なさい!!」


いつも、有無を言わせない人だ………

オヤジの奴、なんでこんなのと一緒になったんだ?

時代錯誤な一面もあるが対称的に自由奔放な父・正和に、余りに似つかわしくない母・明美。

烈貴には昔から疑問であった。


テーブルに着く息子を、腕組みで睨み付ける母親。

それに意も介さず、いつも通りに脚を組む烈貴。


「で………なに?」


険しい視線を烈貴から離さず、重い口を開く明美。


「………連れて来なさい」


「………へ?

誰を?」


明美の瞼がクワッ!と開く。


「ウソをついても分かりますッ!

"アバズレ”を連れて来なさいッ!!」


「だから、その"アバズレ”って何だよ?」


「決まっているでしょうッ!?

あなたが、いつも"女遊び”をしている相手ですッ!!」


これを聞いて、烈貴も挑戦的になる。


「………そんなの、いねェけど?

俺の周りにアバズレ……?とか、女遊びの相手なんかいねェからな。

連れて来いったって、いねェもんは出来ねェよ」


明美は立ち上がり、こめかみの血管を浮き上がらせ。

歯ぎしりのぶつかる音を響かせる。


「烈貴ッ!?

あなたッ!!

どこまで親をバカにすれば気が済むのッ!!?」


「バカにしてんのはソッチだろ!?

人をモノみたいに扱いやがって。

気に入らなきゃヒスってばっか!!」


「キィィィッ!!!」


こともあろうに、明美は。

テーブルの向こうに座る烈貴に飛びかかり、首元を締め上げる!


「ぐっ」


顔をしかめる烈貴を鬼神の形相で睨みつけながら、なおも締め上げる手を緩めない明美。


「なんでッ!?

なんでわからないのッ!?

あなたを守るためにやってるというのにッ!!

泥棒ネコに………とられないようにッ!!

………あなたはッ!!

あなたは私の子なのッ、わたしのッ………」


烈貴がグッタリして来た、その時。


「な………何してるッ!?

ヤメロォッ!!」


たまたま早上がりして来た正和が割って入り、強引に引き剥がす。

その勢いで明美は床に倒れ込む。


烈貴を抱き抱える正和。


「烈貴ッ!

大丈夫かッ!?

オイッ!!」


烈貴は薄目を開け、何とか意識を維持していた。


床にうずくまり、荒い息のまま上目遣いで虚空を睨む明美に。

正和は言い放つ。


「………オマエ、警察モンだぞ?

わかってんのかッ!?

警察モンだぞッ!?」


帰宅し、玄関から入って来た茉莉が。

驚愕の表情で見入っていた。



続く


〈歪んだ欲望・完〉


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