天気予報は、曇りのち雨だった。
上空を薄い灰色に覆われた展望台の夏いきれの暑さに、烈貴は早々にヘルメットを脱ぐ。
土曜日の午後。
またしても、そこには他に人影も無く。
RG50Eのエンジンだけが、乾いたアイドリング音を響かせていた。
この場所へ来たのは、もう何度目だろう。
いつもと変わらない風景の中に、この少年のドラマが既に幾つも散りばめられていた。
見下ろす街並みの中に烈貴は、自分の通う校舎を探し、見つける。
それは、ともすればピンセットで摘めそうな大きさにも見えた。
あんなちっぽけな一粒の箱の中で。
泣き。
笑い。
人を恐れ。
人に恋していた自分。
この展望台に来ることは烈貴にとって、自分を振り返るイニシエーションとなっていた。
どれくらい、時が経ったことだろう。
天空からは予報通り、霧吹きのような水滴が落ちて来ていた。
それを背負いながら、聞き覚えのあるスクーターの排気音が上がって来る。
莉奈だ。
黄色いヤマハ・トライは、RG50Eの青い車体の隣りに停まる。
髪をかき上げながら歩んで来る。
その顔には憂いを帯びた笑みが、露に濡れた髪をまとわり付かせていた。
烈貴は、正直に美しいと感じた。
高校生だけでなく、大人の男性さえも惹きつけられるだろう…………
そう、思った。
「………珍しいね。
あなたから呼び出しくれるなんて」
先日、美葉の前で見せた悪魔の形相は幻だったのか?
そう思わせる程、莉奈は穏やかに豹変していた。
「………すみません、急で」
「いいの!
………むしろ、嬉しいわ」
烈貴の前まで進んだ莉奈は、溢れるような笑顔を見せた。
莉奈が烈貴以外の、どんな男性にも見せない美しい笑顔………………それが。
これから伝えようとしていることを思うと、烈貴の胸を強く傷ませた。
思わず目を逸らし、俯く烈貴。
どう切り出していいものか………………
悩む間に、莉奈が話しかける。
「この間は、ゴメンね………烈貴を傷付けるつもりは無かったの」
自分も少し、俯き気味になる莉奈。
烈貴は表情も変えず、黙って聞いていた。
だが………………
次に莉奈の口にした言葉に、本性が見えた。
「あんな、チビデブの子供なんかやめて。
あたしにしなよ。
あたしの方が、ずっと………」
「………やめてください!!」
小雨混じりの閑静な展望台に、烈貴の声が響く。
少し肩を震わせ、烈貴は言葉を絞り出す。
「美葉ちゃんの………悪口は……やめてください」
目を見開いたまま、立ち尽くす莉奈。
小雨は降り続き、水滴となり莉奈のパーカーを流れ落ちる。
「………あのコを。
愛してるの?」
「………………ハイ」
「………あたしは………愛してないの?」
「………………………ハイ」
居場所を失っていた、莉奈の手が握り締められ。
聖母のような笑みを湛えていた莉奈の眉間が、たちまち深く刻まれる。
「………あんた………あんたは!
愛してもいない女を抱けるの!?」
烈貴は俯いたまま微動だにせず、硬直している。
「………………ハイ」
唇を噛み締める烈貴。
莉奈は。
濡れた長い髪から湯気が立たんばかりの険しい形相へと変わった。
「愛してもいないのに、ヤレるの!?」
「………ハイ」
「愛してもいないのに、何回も何回も!?」
「ハイ」
「愛してもいないのに、起つの!?
あんなに立派に何度も何度もッ!?」
「………ハイ!」
莉奈は目を血走らせ。
歯ぎしりの音までさせながら身体を震わせる。
「クズね…………アンタはクズ!!
この、ゴキブリ野郎!!」
噛みつかんばかりの形相で烈貴の顔に迫る。
「………ハイ!
ゴキブリ野郎です!!」
瞼を固く閉じ、言い返す烈貴。
「この、タダの種馬野郎ッ!!」
「ハイ!
タダの種馬野郎ですッ!!」
「発情期のブタ!!」
「ハイ!
発情期のブタです!!」
「本能だけで生きてる、単細胞ッ!!」
「ハイ!
単細胞ですッ!!」
「歩く生殖器ッ!!」
「ハイ!
歩く生殖器ですッ………!!」
展望台に降る雨は次第に強くなり、二人の頭からつま先までを濡らしていた。
汚い言葉で烈貴を罵れば罵る程………………
莉奈の眼には、涙が溢れてきた。
怒りの表情も、いつしか悲しみに歪んでいた。
烈貴に振り上げた拳を、力無く下ろし。
莉奈は濡れたアスファルトにへたり込み、両手で顔を覆う。
立ち尽くす烈貴の耳に、莉奈の嗚咽が聞こえて来た。
烈貴は、全てを受け止めた。
この顛末を導いた自分自身の愚かさを、心底恥じていた。
天を仰ぎ、降り注ぐ水の弾丸とともに、甘んじて受け止めていた。
「………俺は………こんな奴だったんです。
サイテーです。
だから、先輩のような………素敵な人には。
似合わないんです………
申し訳、ありませんでした」
瞼を固く閉じたまま、烈貴は莉奈へ告げた。
うずくまったまま、びしょ濡れの莉奈はポツリと呟く………
それは、雨音にかき消されそうな程、儚い声だった。
「………あたしって………アンタの何だったの」
烈貴は。
莉奈へ良く聞こえるように、しゃがみ込む。
「………俺のことを。
一番最初に好きになってくれた人です。
………そのことは、一生、感謝して忘れません」
水の滴る前髪の向こうの莉奈の瞳が、少しだけ笑ったような気がした。
「一丁前に………気休めを言うんじゃないよ。
さっさと失せな」
首を横に降る、烈貴。
「先輩が帰るまで、ここに居させてください」
莉奈は。
おもむろに烈貴の濡れた頭に手をやり、大怪我に撫でた。
「………風邪、引くなよ。
じゃあな、馬鹿野郎」
莉奈は立ち上がり、振り返らずに去って行った。
ヤマハ・トライの排気音が遠ざかり、聞こえなくなった頃。
予報外れの晴れ間が広がり、展望台から虹の橋が見えた。
続く
〈さよなら馬鹿野郎・完〉
※文中の団体・組織名及び人名は実在するものと一切関わりありません
画像アプリ;
Gemini
