後に
「東日本大震災」
と呼ばれることとなった大災害について。
今年は特に思う、私自身の正直な気持ちを書かせて頂きます。
あの時、私は。
勤務先の女子社員の皆様へお返しする、近づくホワイトデイの品について。
営業車を路肩に停めて、営業係の社員と携帯電話で相談しているところでした。
営業車のウィンドウの向こうの景色が、ゆ〜らゆ〜ら、ゆ〜らゆ〜らと大きくうねり出したのに続き。
交差点の信号機も激しく頭を振り出したので、おかしい?と思い。
一旦、営業係との通話を切りました。
地震?
正確な時間を測っていなかったので、わかりませんが。
かなり長い間、それこそ海上の波に揉まれるような長いストロークの揺れが続いていたのを憶えています。
当時、仕事用もプライベートも今でいうガラケーを使っていましたが。
ワンセグのTVを点けて見たんです。
その小さな画面の中で起きている事実を受け止めることを、直ぐには信じられない。
いや信じたくない自分が居たのでした……………………
マグニチュード9の大地震のみならず。
3メートル以上もの大津波が押し寄せる被災地の姿が、残酷にも事実であることを知らせていました。
必ず思いだすのは。
その大災害発生から笑顔になれなかった…………
何も食べる気にもなれなかったのが、憶えていない程長く続いたことでした。
休日に、どこかへ出かける…………
そんな気持ちになど、到底なれませんでした。
それでも。
当時まだ幼く、事の重大さを理解していない娘から
「ねえ、どこか行こうよ」
と、笑顔でねだられ…………
仕事も、正直手になど付きませんでした。
お客先のTVで、福島第一原発の一号機建屋が水蒸気爆発を起こしているニュースが流れていても。
何食わぬ顔で平常に仕事をこなしている人々。
私には、もう無理だった。
私は、ただの小心者なのか?
こんな余りに酷すぎる事態が……しかも、すぐ近くで起きているというのに
なぜ、みんな普通で居られるんだ!?
かと言って、自分に何が出来る…………
自分に何が出来るというのだ…………
あの時、私は。
本当に孤独でした。
誰にも、同じ思いを分かち合えないと絶望していました。
しかし。
決して、そうではないと教えてくれたのは地球の反対側に居る、友人でした。
発生して3日目の昼間。
私のプライベートのガラケーに届いた、一通のメール。
そこにあったドイツ語の一文…………
「Verliert nicht die Hoffnung bis zum Schluss!」
(最後まで、希望を失うな!)
当時、太平洋沿岸を襲う大津波、福島第一原発の水蒸気爆発の映像を伴った日本の大震災のニュースはドイツでもトップとして大きく取り上げられ。
反原発の国であるドイツ国民の間でも、日本を憂う声が大きかったと聞きます。
私と出会うまで、ほとんど日本について知らなかったという友人も、私との付き合いの中で新潟が福島のすぐ隣りであることを知っていたのです。
ニュースを見て驚愕し、真っ先に私のことを心配して下さったのは彼の奥様だったとのことでした。
遥か海を越えてきた、友人からのメールの一文を見て。
それまで堪えてきたものが溢れ出し。
私は号泣しました。
今でも、その時のことを思い出すと涙が出ます。
こうして、書いている時にもです。
アジア・ヨーロッパ、人種、言葉、宗教、全てが違ったとしても。
地球の裏側程互いが離れていたとしても。
たった一つの言葉が、思いが、一人の人間の顔を上げ、前を向かせてくれる…………
生きる勇気を与えてくれる………………
その紛れも無い事実。
真実というものを、私は知りました。
まさに今、世界を省みれば。
戦争のニュースが途切れることはありません。
私は思います。
世界中が友人同志になれないものかと。
友人の居る国にミサイルを撃ち込んだり、友人の居る国を力により支配しよう等とは、考えられないはずです。
そして……世界中の人間は地球という同じ一つの船に乗せられた同じ乗組員です。
ただでさえ、人間ごときのテクノロジーなど到底敵わない大自然の脅威……東日本大震災のような大災害によって命を落とす大勢の犠牲者が後を絶たず。
それでも人類が全力、全英知を合わせ、その数々の大災害に立ち向うべきだというのに。
わざわざ……本当に、わざわざ人間同士で殺し合うなど。
バカらしいにも程があると何故、思えないのか!?
最後に………………
大学で仲良かった私のクラスメイトである
宮城県気仙沼市の友人。
福島県相馬市の友人。
そして……熊本県玉名市の友人。
疎遠になってしまったけれども、皆が災害に負けずに共に今を生きていることを。
切に願い続け信じ続け、祈り続けています。