15年前の昨日。
この場所で。


私は。
人生初の「空中に浮く物の操作」=「ラジコン飛行機の操縦」を成功させました。
そんな昨日は、いわば私の航空記念日でした。


…………第二次大戦が終わった1940年代半ば。
当時、航空界では「空に壁がある」と言われ。
航空機が音の速さ=音速(マッハ1)を超えようとすると、操縦悍が利かなくなり機体も空中分解しパイロットは必ず命を落とすとされていました。
実際に何人ものテストパイロットの尊い犠牲がありました。
人類が音速を超えることなど、到底無理と、誰もが諦めかけた時。
当時米空軍テストパイロットだったチャールズ「チャック」イェーガー大尉が名乗り出て、ベル社の黄色い小さなロケット機「X-1」に乗り、1948年10月に見事に音速の壁=サウンドバリヤー=を突破。
マッハ1を超える飛行を達成しました。

私は、このチャック・イェーガーのエピソードが大好きで、今でも何か壁にぶち当たる出来事があると思い出して自分を励ましています。

今から15年以上前まで、私は仲間うちで車の電動ラジコン・レースに熱中していました。
その歴史は古く1981年の中学時代からでしたが、2001年の冬。
仲間うちに「車を離れ、飛行機を始めたい」と打ち明けました。
仲間達からは快い言葉をもらえませんでした。
「飛行機は甘くない。必ず先輩から二人羽織のようにして教習を受けなくてはならない。車みたいに前後左右だけのコントロールとはわけが違う」
また、私が最初に飛ばそうとしていたのは当時出回り始めていた電動2ch =車と同じパワーと左右のみのコントロール=の軽い機体だということを説明しても、当時はまだ飛行機といえばエンジンで3ch 以上が常識だったこともあり。
「そんなのがまともに飛ぶわけがない」
「しかも単独で?やめとけやめとけ」と。
まさに、けんもほろろ(笑)(泣)。

しかし、自分でも無意識のうちに胸のうちに芽生えていた空への思いを捨てることはできませんでした。
……それまで折り紙飛行機すらまともに飛ばしたことも無く、当時周りに指導者も見当たらなかった私はラジコン飛行機を飛ばす前に飛行機というものを一から知る必要がありました
その為に私は自身に独自の訓練を課すことにしたのです

その方法とは、入門向けの小さな発泡スチロール製ゴム動力フリーフライト機を組み立て、離陸から飛行・着陸までの行程を安全・確実に行うという訓練でした。



同時に機体の空中姿勢を目で追う訓練も兼ねました。
「これらが全て上手く行くようにならない限り、自分にラジコン飛行機を飛ばす資格はまだ無いのだ」と言い聞かせ、天候の許す限りほぼ毎日行いました。

私が初のラジコン機飛行に選んだのは、こちらの電動パーク・プレーン「ファイヤーバード201」という機体です。
主翼の長さは75㎝。
重さは240g。

プロペラの回転数と左右方向の二つのみという簡易な操作方式。
180モーターと4,8V400mAh ニッケル水素バッテリーという決してパワフルではない動力でしたが、初始動の時の私には巨大なエンジンの爆音にも聞こえました。
しかし。
この機体の黄色い色こそが、私にとってはチャック・イェーガーのベルX-1そのものに思えました。
そこで私はこの機体を「X-1」と呼び、自分の壁を超える決意としたのです。

……そして、天候や風力を考慮しながら満を持して迎えた2002年3月24日。
午後1時15分。
晴れ渡り、今年のように未だ残雪深いこの公園にて。
私の人生初ラジコンフライトとなる機体ファイヤーバード201は、空へ飛び立ちました。



「離陸後最低5秒間は舵を絶対切らない」
「舵を切る時は微量で少しづつ」
「着陸は動力を少しづつ絞る」
正直、心臓はバクバクで指は震えましたが、この三つだけを頭に叩き込んでの集中したフライトを心がけて機体を目で追いました。
するとファイヤーバード201は、想像以上に私の思い通りに反応してくれました!

<この位置から離陸させました>


思った以上に高度を上げ、思った以上の速度で飛行する機体。今思えばこれほどゆっくりと安全に飛ぶ機体は無いというレベルですが、その時の私にはまるで音速の壁を突破しようとするかのようなダイナミックな飛行に感じました。

<写真の機体はファイヤーバードとほぼ同サイズのサンライト。当時のイメージ>



最初の右ターンは思った以上にうまく旋回させ、その後高度約15m上空を直進。



そして、今度は約100m先で左ターンさせ、徐々にパワーを落とすと機体は素直に穏やかに。
高度を下げて行きました。




…………そして!!

緊張の。
私の人生初の着陸は…………





なんと、初めてにして!
大成功!!

生まれて初めての飛行を。
指導者無しの単独で。
私は大成功を修めることができたのです。

僅か20秒に満たない飛行時間だったと思います。
しかし。
この、生まれて初めての飛行を。
たった独りで成功させたことが、後の私の自信と航空機への夢を産み出してくれたのでした。

この日、私は一つの壁を超えたのです。
不可能と言われていたことを可能にした、チャック・イェーガーの気持ちになれたことを大いに喜んだ3月24日という日を。
私は生涯忘れることはできないでしょう。

※この時の機体ファイヤーバード201は、現在も飛行可能状態で保存しています。