<金色の折り紙で作りました>


……実は前から決まっていたことなのですが。
前々回の記事で御紹介した、若き看護師のSさん(20代男性)が去る15日付で私の居る病院を退職していきました。
彼は当直の日以外、病院から約80㎞離れた自宅から片道二時間かけて、車を運転して毎日通っていました。
ただでさえハードな看護師の仕事で、大丈夫なのか?いつも心配してましたが、学生時代陸上部で鍛えたという身長180㎝の大柄な身体はビクともしない様子でした。

まだ看護師という仕事について間もない彼は、誰もがそうであるように新人らしく?先輩がフォローできる範囲のミスをしたりしましたが、それは仕方ないとして。
唯一つ直した方が良いと常々私の感じていた彼の欠点というのが、その都度、言い訳を言うことでした。
「私は半人前ですから、すみません」
「私はぺーぺーですから」
そんなことは、相手にもわかっていること。
しかし、一度医療関係者として本物の患者に接したからにはたとえ新人であろうと関係なく責任があるのは当然で、言い訳や言い逃れなどは決して許さないのは当然です。

……ただ。
そんな、端から聴けば言い訳にしか聴こえなかったSさんの台詞にも。
理由があることを知ったのは、彼が辞める15日の朝のことでした。

看護師になられる方は、勤務先の病院附属系列の看護専門学校か大学に在学後、または他看護専門学校か大学からストレートに現場に入っていくパターンが最も多いようで、Sさんの同僚の新人看護師皆さんも同様な様子でしたが、実はS さん本人は全く違う経歴の持ち主でした。
彼は医学という括りこそ同じながら某私立大学の農獣医学部を卒業した後、職を転々とし。
結局、看護専門学校に入学し直して卒業後に今の現場へ辿り着いたのでした。
周りと比べると随分遠回りをしてしまったと思える自分に、常にコンプレックスを感じ。
同じ失敗やミスをする新人看護師さん達とは全く違うニュアンスで、思わず口に出てしまう言葉が「自分は半人前」だったのでした。

私には、少しだけ彼の気持ちがわかる気がしました。
ただ、根本的に違うと思えた点もありました。
それは、私もSさんみたいに遠回り?をしましたが自分の経歴にコンプレックスを抱くことは無かったということです。
経歴と言っても。
職務経験だけを言っているのではなく、生まれてから自分が何をしてきたか?何に興味を持ち、何に打ち込んできたか?も入れて良いのではと私は考えます。

私の職業はOA販売会社のサービスエンジニアで、新卒で社会に出てから25年。
ずっとこの道で仕事をしてきました。
複写機やワープロ、ファクシミリのメカニズムを理解するには、やはり電気工学系の専門学校や大学学部を出ていた方が有利で。
私もそうした同僚や先輩達に囲まれてきました。
しかし、私自身は実は大卒でも文学部日本文学科卒(笑)。
異次元の世界から来た人間に見られていました(笑)。
販売会社なので、本当は他の職、総務とか総合職や事務を志願すればいいものを自らエンジニア部門に志願しました。

何故か?

私はその販売会社に入社後、いろんな部門で研修を受けましたが、中で最も自分の経歴から得た特性に合いそうな仕事だったから。
その経歴と特性こそ。
先日ここでお話した「モーターライズ・ラジコン・バイク=電気と機械」と工具と仲間と過ごした年月、ラジコン・バイクについては当時進行形だった自分の特性でした。
エンジニア部門での先輩と同行しながら、この仕事なら自分を生かせる!と直感したのです。確かに電気系の学門を勉強して来なかったハンディは必ず付きまとうかも知れないけど「理系出の先輩達の鼻をあかしてみせる!」というエネルギーも湧きました。
その時には自分が文学部出であることなどは、もうどうでも良いどころか先輩達に無い自分だけの武器にも思えてきたから不思議です。
そう、経歴というものに自分にとって無駄や遠回りなど、一つも無いと。
それ以来私は一貫して考えるようになりました。

……S さんが退職する朝に、最後ということで身の上話をした中での。
わかったことであり、それについての応えでした。

私は彼に説教をするつもりは毛頭ありませんでしたが、敢えて訓示を贈らせて頂きました。

・プロは言い訳しない

・他と違う経歴は自分の武器
…………専門教育を受けて専門分野につくのは、乱暴な言い方をすれば当たり前。
違うことをしてきた分が多ければ多い程、人間としての厚みが増す。

そして……

・勉強というものは一生続く

というもの。

「これは飾っとくだけじゃくて、飛ぶんだよ。
今学んでいる航空工学だ(笑)」
と、彼に贈った餞別が。
これです。


いつも何か遠慮がちな顔をしていたSさん。
これまで見せなかった明るい表情で去って行きました。
まだ再就職先は決まっていないとのことですが、看護師は続けたいと言っていました。
暫くは自宅にて脳内出血で療養中のお婆ちゃんのケアに専念するとのことです。


お互い。
いつまでも輝き続けような!