今年も10月23日を迎えました。
8年前の今日、2004年10月23日17時56分。
私の住む新潟県中越地方をマグニチュード7の直下型地震が襲いました。
震源地は私の自宅より8km北の越後川口こと北魚沼郡川口町(現:長岡市川口)。
周辺自治体の多くで地割れ・山崩れ・道路、トンネルの崩落が起き、山古志村はじめ孤立した集落が発生しました。
ここ、震源地の越後川口も同様。
町道・私道はおろか国道・高速道路・鉄道・・・・全ての生命線が遮断されました。
目を疑うような状況の中。
マグニチュード7・震度7という強大な破壊力を持つエネルギーを、自分達の真下に抱える恐怖。
絶え間なく続く、震度5~6強クラスの余震に怯えながら為す術もなく身を寄せ合うしかない。
家屋の崩壊、水・電気・ガスなどライフ・ラインも完全に途絶えたばかりか、食糧が底をつく危機が起きました。
「どこにも逃げられない・誰も助けに来てはくれない」
越後川口の人々は、絶望に支配されたまま、数日間を過ごしたのです。
ようやく、陸上自衛隊の皆さんが救助に訪れることができたのは、そうした恐怖の数日間が経過した後のことでした。
町中の学校・保育園のグランドは、全て救助活動の自衛隊のテントと車両で真っ黒に埋め尽くされました。
震度5以上の余震は随時やって来ていて、あちこちできな臭い匂いが充満していました。
私が、この越後川口の全小・中学校、農協施設を回ったのも、ちょうどそんな頃でした。
町全てが、破裂した爆弾のように感じました。
越後川口は山間部の町です。
各所を回るには、切り通しの崖道を通らなければなりません。
いつ、余震による崖崩れが起きてもおかしくない震源地の道路を、生きた心地のせぬまま通り抜けたことを思い出します。
小学校では、倒壊した家屋の下敷きとなり亡くなった児童さん数名の命を悼み、先生とともに泣きました。
恐怖に怯えてばかりいられない・・・・・・地下に震源という大きな爆弾を抱えながら必死で生きようとする、越後川口の人達の為にも、私は涙ではなく汗を流すことにしました。
・・・・・・あれから8年。
北魚沼郡川口町は長岡市に吸収合併され長岡市川口となりましたが、震災以前の姿と元気を取り戻しつつあります。
毎年10月23日が近づくと町中の家々や職場の窓や壁には、震災時に全国の多くの皆さんから頂いた御支援・励ましと、復興へ向かえたことへの感謝の黄色い旗が掲げられます。
早く、日本中が元気になれますように!!



































