<22日記事からの続き>
・・・・・只見で訪れる、初めてのお店となったカフェ「よいや・れいや」さん。
一見、普通の民家全とした佇まいで、辛うじて入り口の雰囲気でお店と分かる、奥ゆかしい喫茶店です。
このドアを開けると、そのまたもう一枚玄関ドアがあり、そこからは本当にカフェの雰囲気となります。
店内に入った途端、白い壁と、手製の焼き物のインテリア。派手さは全く無く、こぢんまりとした小さな空間ではありますが南欧の雰囲気のする、とても明るい室内。
窓際にテーブル三つ、椅子が10席あります。
カウンターの向こうから白い厨房着を纏った、俳優でいえば阿部寛似のイケメンの御主人が「いらっしゃい!」と、ホッとするような優しい笑顔で声をかけます。
店員さんは他に見えず、この御主人が御一人できりもりされているようです。
私は一番奥の、二人分の椅子のテーブルに座りました。
テーブル横の窓からは、寒い初冬の雨降りにも関わらず本当に柔らかい光が差し込みます。
背中の壁際には棚があり、そこにはどうも手製と見られる小さな花瓶やコーヒーカップの焼き物や小さな花が飾られています。
御主人が水とおしぼりと一緒に持ってこられた小さなメニューに目を通すと、コーヒー・お茶のバリェーションの他、大自然の国・只見に相応しい、果物を使ったスィーツ。
そして10種類程にも及ぶパスタがありました。
店内には私の他に、20~30代位の女性お二人連れのお客がいました。
こんな、全てにおいて良い感じのお店は女性が放っておくはずが無いだろうな・・・・・思わずそう思わざるを得ませんでした。
私は数あるパスタの中から「魚介類のクリーム・ソース」を注文しました。
まずは、盛りつけそのものの丁寧さに感嘆。
本当に山奥の目立たないお店なら、もっと家庭料理的でラフな感じのスパゲッティでも全く問題無いと思うのですが。
食してみても、驚きです。
私などが言うのもおこがましいですが、シーフード・パスタの命?というのは、パスタそのものの茹で具合だけでなく魚介類の茹で・炒め具合と歯ごたえだと思います。
こちらのパスタのエビ・あさりは・・・・いや、はたまたキノコに至るまでが全てプリッ!プリ!!なんです!
さらに!
このメニュー、この他に食前のサラダと食後のコーヒーが付くのですが、皆さん。
御代は如何ほどだと思いますか?
なんと・・・・・たったの¥800です!!!!!
後で駅の女性から聞いたことですがこちらの御主人、このお店を開業するまでホテルに勤務されていたとのことで、料理そのものだけでなく彼のお客に対する振るまい・佇まいから納得した次第です。
冷えた体と、朝からまともな物を食していなかった私でしたが、まさかこうした至福の時を過ごせるとは思ってもみませんでした。
私がパスタを食べ終わり食後のコーヒーを頂いている頃、二人連れの女性客が退店されました。
その時も御主人は、先程のような優しい笑顔で「お気を付けて」と声をかけられていました。
店内は、私と御主人の二人きりとなりました。
私がこのお店の名前「よいや・れいや」の由来をお聞きしようかと思っていた時、御主人は何やら遠慮がちな顔になり、おもむろに?話しかけてこられました。
「お客さん・・・・・只見線がこんな状態と知って来られたんですか?」
私は、御主人の言われることに大方想像は付いていましたが、敢えて問い返しました。
「こんな状態といいますと?」
「途中の区間(会津川口~只見)が不通となっていることですよ」
私は笑顔を返しながら応えました。
「もちろんですとも!」
御主人は私の反応に少し驚いた様子でしたが、なおも尋ねてきました。
「今日は、どちらからお出ですか?」
「魚沼です!」
御主人は、ああ、新潟から来られたんですか、と今度は少しホッとしたような顔をされました。
私はここで初めて、自身のしたかった質問である、お店の名前の由来について尋ねました。
御主人曰く「よいや・れいや」というのは只見の方言で「ウチに寄っていきませんか」というお誘いの言葉だそうです。
只見の農家の方々は、作業の合間や終わった後に「まあまあ、ウチに寄ってお茶でも飲んでいきませんか?」という意味で「よいや、れいや?」と声をかけるとのこと。
何だか聞いているだけで、こちらもホッと気持ち安らげるように感じました。
只見線のことは、やはり御主人も心配な御様子でした。
御主人の知る限り不通区間の復旧状況は、まだまだ思ったようには進んでいないとのことです。
もし万が一、只見線が廃線になるようなことがあれば、本当に困ったことになると、御主人は初めて寂しそうな目をされました。
改めて「よいや・れいや」さんの店内を見渡すと、壁や棚のあちらこちらにSLの大小の写真が飾ってあります。
会津若松~只見駅間を走る、臨時列車のSLの写真です。
雑誌の棚にも、只見線SLの写真集が置いてありました。
私は、只見線沿線福島県側の人達と一番分かち合いたかった思いであり、一番告げたかったかもしれない言葉を、ここで放ちました。
「・・・・・・廃線なんて、絶対あってはいけない事です!」
只見線がもし廃止されてしまったら、私達の子供達になんと説明すればいいのでしょう・・・・・只見線には、私達沿線住民の未来が託されているのではないでしょうか・・・・・私は御主人と語り合いました。
御主人は、こう話して下さいました。
この只見は、昔から会津若松よりもむしろ、新潟とのつながりがとても強い地域であったということ。
現在の魚沼市小出のスーパーのチラシが、只見に入って来ていた時代もあったとのことです。
聞けば御主人の御年は私より四つ上でおられるとのことですが、大変驚いたことに御本人も若い頃はよく魚沼市(当時・北魚沼郡)に遊びに来たり買い物にお出でだったそうで、私以上に魚沼市のお店や施設のことを知っておられる面もあって、私は只々感服するしかありませんでした。
さらに御主人は、これからもさらに新潟との関わりを大事にしていくことが、この只見にとっても良いことだと思うとも言って下さり、私は感無量でした。
御主人が新潟のことをよく御存知で頂いているように、私ももっと只見や会津のことを知りたい。同じ沿線住民として、もっとお互いに元気を分かち合える未来を築いて行けたなら・・・・・・そんな願いが生まれました。
気が付けば時間は流れ、午後3時になろうとしていました。
いくらお客が私しかいないとはいえ、長話にお付き合いさせてしまったことをお詫びし、勘定をさせて頂きました。
帰り際に「只見線全線復旧を願う」思いが一つであることを私達は語り、私は店を出ました。
「お気を付けて」
御主人の笑顔が、まるで「私のことを昔からよく知っている近所のお兄さん」のように見えました。
<続きます!次回最終回>



