<前記事の続き>
・・・・・完全に、私のミスでした。
旅先で、時間の憶測を誤ったのでした。
50分という時間からして、あくまで目測で駅からスキー場まで行って帰って来るのは楽勝だと見積もっていました。
ただ、それだけでなくて只見の町中を散策したいという気持ちが時間を余分に使わせてしまった感じがあります。
思わず、時計のチェックが甘くなってしまったようです。
走り去っていくキハ40を、ただただ呆然と見送るしかない私。
様子を感づいたのか、さっきピン・バッジを頂いた観光協会の女性が声をかけて来ました。
「もしかして乗り遅れちゃったんですか!?」
「・・・・はい!この列車って、もう止められませんよね?」
初老くらいの年齢の、駅員さんも顔をしかめて言われました。
「もう、出ちゃった列車を止めることはできんし、今は国道も冬季閉鎖中だから車で追っかけることもできん。バスも出とらんし」
私の乗り遅れた列車の次の便は、本来の時刻表なら約6時間後の15:40発でした(それでもかなり後)。
しかし。更に運の悪いことに、この日に限ってこの便も車両整備の為運休とのことでした。
自動的に、私の帰れる便は18:35発の最終便のみとなってしまったのです。
冷たい雨風吹きすさぶ晩秋というより初冬の寒い見知らぬ土地で、ほぼ半身ずぶ濡れ。たった一人で朝の9時半~夜6時半までの約9時間(!)を過ごさなければならないと知った時。
皆さんなら、どうしますか?
この日は、HARIMA家にとっては平常の日曜日でした。
10:30頃帰宅し、買い物に出かけたり家の中の雑用をいつも通り行う予定でした。
妻にもそのように伝えて出てきましたし、気軽に軽装で出かけて来ました。
このブログにも記事を「朝の乗り鉄」というタイトルで書くつもりでした(笑)。
とりあえず妻に、このことを伝えないと。
携帯から自宅へ電話し、乗り遅れてしまったこと。帰りの列車が夜まで無いことを告げると、妻は電話の向こうでアニメ・新世紀エヴァンゲリオン登場人物のアスカの名台詞そのもので返してきました(冗談でなく本当です)。
「あ~んた、バカァ!!??(怒)」
アスカに罵られたシンジ君のように私は息を飲むしかありませんでしたが、最終的には「まァ、風邪だけは引くな」と勘弁して貰いました。
しかし、これから9時間も、どうやって時間を潰したらいいのだろう・・・・・?
温めようと思っていた両足も冷えてきました。
この時、駅の待合いにはまだストーブは出されていませんでした。
列車の本数そのものが少ない為、時間キッチリに駅に到着する乗客がほとんどで、駅で時間を待つ乗客がほとんど居ない為です。
ベンチに座った私は仕方なく濡れた上半身や足元を、とりあえず持っていた小さなハンカチで拭いていました。
そこへ。
「よかったら、これ使って下さい」と、先程の観光協会の女性が新しいタオルを差し出してくれました。
タオルはビニールに梱包され、只見町観光協会の印刷がしてありました。
私が有り難く礼を言って受け取ると、女性は「どちらからお出でですか?」と訊いてきましたので「魚沼からです」と応えると、彼女はこの度の只見線再開通とともに新潟から沢山の人達が訪れて下さって大変嬉しい、と言い「新潟の人達は、皆さん情が厚いですよね」という言葉まで頂きました。
我々をそんな風に思って頂いていたのかと、さっきまでションボリしていた気持ちも明るくなってきました。
駅の外は相変わらず強い風と雨が横殴りの状態で、足元がまだ乾かない私が「もう少し、この待合いにいてよろしいですか?」と訊ねると女性は「どうぞ、どうぞ」と快く言って下さいました。
この観光協会の女性は、眼鏡をかけていて髪はショートカット。年格好は20代後半~30前半位で痩せ型。明るくてハキハキと話す、元気の良い方でした。
只見駅には駅事務所の他に、売店と観光協会を兼ねた店があり、そこを彼女は御一人できりもりしています。
私が退屈してはいないだろうかと思ってか、女性は一冊の本を持って来て貸してくれました。
本は歴史雑誌でした。
この只見町は幕末の戊申戦争時、我が越後の長岡藩家老・河井継之助(かわい・つぎのすけ)という武士が、官軍との戦いで瀕死の負傷を負った後会津へ落ち延びる途中で客死した地でもあります。
そうした関係で、ここには記念館もあります。
彼女は越後から来た私を気遣って、その昔、同じ越後から只見へと着いた河合継之助に関する話題を提供してくれたのでした。
それから、私達二人は只見と魚沼双方の歴史について語り合いました。
実は只見は会津ではありますが、江戸時代まで会津藩ではなく幕府によって直接治められていた特別な土地であることを、彼女から初めて教えて頂きました。
私が語ったのは、魚沼市(旧・北魚沼郡)はその昔、越後でありながら会津藩が治めていたこと。
会津から来た最後の奉行は、本当に誠実な方で魚沼の領民を気遣ってくれていたこと。
幕末の戊申戦争で官軍が小出島(現:魚沼市小出)に攻めて来た時、会津藩の武士達は「自分達のせいで魚沼の領民を犠牲にすることはできない」と必死で戦い、領民の犠牲者は一人も出さずに自分達の命を犠牲にして守り抜いてくれたことでした。
その歴史を魚沼の小学校で教育していることも伝えました。
この史実は、彼女は「初めて知った」とのことでした。
隣り同志の県。隣り同志の町でありながら、実際こうして会って話をすることで初めて知ることも多いですね、と私達はお互い感心した次第です。
・・・・・・暫く話して、私は覚悟を決めて「今日は只見町の観光めぐりをすることにします(笑)!」と返すと、女性は駅近辺観光案内地図を持ってきて、私の為にお金がかからなくて時間の潰せそうな場所を探してくれました。
さっきよりは、外の雨も弱くなっている気がしました。
時間はいつの間にか、11時になろうとしていました。
「6時に、ここへ帰って来られるのをお待ちしていますよ!」
彼女の屈託の無い笑顔に見送られながら、私は傘を広げて外へ出たのでした。
何だか、元気も沸いてきました。
<続きます!>
<観光協会の女性が下さったタオルと、貸して頂いた歴史雑誌です>