
この、霧の中浮かび上がる異様な山。
この山こそが、第3の関ヶ原とも言われる「越後一揆」の舞台となった、下倉山城(したくらやま・じょう)祉です。
1600年、上杉氏から越後の国を譲り受けていた堀(ほり)氏は徳川方についた為、豊臣方についていた当時会津の上杉氏と対立。
重臣小倉主膳(おぐら・しゅぜん)の居城、下倉山城は会津に近かった為、上杉氏「越後奪還」の第一のターゲットとなりました。
また、上杉氏と違い越後に移ってから領民への厳しい年貢取り立てを強行してきた堀氏は、この時会津の上杉氏に攻めこまれただけでなく恨みを買った領民にも蜂起(一揆)されダブル・パンチを食らうことになり、下倉山城は上杉家臣の武人及び地元領民総勢二千に包囲されました。
当時援軍も無く、城内家臣らと籠城し抵抗を試みた城主・小倉主膳父子も多勢に無勢、ついには年若い息子が先に討ち死。
間もなく父・主膳も領民の槍が胴を貫き息絶え、ここで城主小倉氏は滅ぼされました。
以来この城は廃城となり、410年に渡り誰一人住んだ者はありません。
調査により、城趾には住居跡や堀、井戸など当時を偲ばせる貴重な史跡が多く確認されていますが、新潟県中越地震で足場が悪くなったこともあり、現在は整備されておらず深い森林にその姿を隠したままとなっております。
この下倉山の姿を見る度に私には、非業の最期を遂げた城主・小倉父子の無念が伝わってきます。