「正義の味方の定義」なんて書くと、たいそうな事のように聞こえてしまいますが、ここでは私にとって感じるところの、いわゆる子供向けヒーロー番組の主役というものについて語りたいくらいにとらえて頂きたく思います。
戦後、我が国では「白馬童子」「笛吹き童子」など時代劇の変形(?)のようなドラマから始まり、様々な「正義の味方」達が子供達に夢と勇気と希望を与えてきました。
昭和40年代初頭生まれの私の場合はというと、物心ついたちょうどその時テレビでは「ウルトラマン」「仮面ライダー」(ともに初代)が始まったころでした。
これらに出ているヒーローに憧れ、また、相対する怪獣や悪の組織達を本気で恐れ「早くやっつけて欲しい!」とテレビの前で願ったあのころ。
無敵だと信じたヒーロー達がピンチに陥ると「負けるな!」とこぶしを握りながら声援を送ったあのころ。
どんなに凶悪な輩が現れたとしても「正義は必ず勝つんだ!!」と強く信じることができた、あのころ。
「決して悪を許してはいけない!!」とヒーロー達に教わった、あのころ。
こんな時が、皆さんにもありませんでしたか?
あれから40年程の時が流れましたが、その間私はそれこそ仮面ライダーの乗っていたサイクロン号にも負けない、かっこいいオートバイにも乗ることができ、ウルトラマンの怪獣よりも怖いカミさんと日々を過ごすことにもなりました。
21世紀の現在でも日曜日の朝にテレビをつけると、40年前と比べると随分デジタル化されてはいますが「仮面ライダー」に会うことができます。
私の見ていたころと違い、ライダーはその呼び名が示すとおりに必ずしもオートバイに乗る必要は無くなり、変身する主人公はスタイリッシュでイケメンな若い俳優が流行の髪型とファッションに身を包み、どんな場面でも動じる事無くクールにキメる人物がほとんどとなりました。
テーマも単純な「勧善懲悪」ストーリーと違い、それぞれのドラマで独特な世界観を作り出しているように感じます。
私はそのことを決して悪いというのではありません。
私にもし息子がいたなら、やはり揃って仮面ライダーを見たはずです。「お父さんのころのライダーはね・・・」とか言いながら。
娘しかいない、娘がライダー自体に興味を示さないことも、私が「仮面ライダー」から離れている要因であることは否定できません。
しかし子供のころに見た、不器用そうだけど正義感に満ちた藤岡弘の演じた主人公、本郷猛(ほんごう・たけし)。今から思えば泥臭い、悪との戦いを披露した仮面ライダー(1号)。その時に覚えたヒーローとの「共鳴感」のようなものは、永遠に感じることはないだろうと思っていました。
そんな私の前に今年、40年の時を経て再び「本郷猛」が降臨してくれたのです。
その人の名は「東せつな」。そのヒーローの名はキュア・パッション。
性別の違いこそありますが、彼女こそ私の中では仮面ライダー1号の血を受け継いでいると感じています。
初代・仮面ライダー1号は、もともとショッカーという悪の組織の手によって「怪人」として作り出されました。
人間としての姿の本郷猛は、当初そのことを憂い、十字架として生きていかなければならない運命「自分はもはや普通の幸福など得ることはできない」覚悟に生きていました。
そのことが、彼を寡黙な主人公にしました。
しかし、その彼を生きることへ駆り立てたのは「人々を悪から守りたい」と強く願う不屈の正義感、また「それをできるのは自分しかいない」という使命感でした。
長くなるので次回に続きます。
