いきなりの質問だが、この世の中に「バスの下敷きになって生き延びた男」が、どれだけいるだろか?
これは、その「バスの下敷きになって生き延びた男」の経験談である。

後輩が修善寺で事故ったことを聞き、ワシは全速力で事故現場に向かっていた!
修善寺駅の付近に差し掛かる!
視界に観光バスが入って来た!
これだけの間隔があれば、路側帯からすり抜けて前に出れるだろう!!

バスは信号待ちで停車していたが、ワシがバスの真横に差し掛かると走りだした!?

「ダメだ!!」
フルブレーキ!!

ちょうど運悪く、工事中の看板に進路を塞がれた!バスが停車したままなら問題なかったが、走り始めたため進路を塞がれた!

おまけに、路側帯にはたっぷりの砂。そんな所でフルブレーキすれば、結果は明白だ。

・・・転倒。

ワシは次の瞬間、狭く薄暗い中を転がっていた。先程まで乗っていた単車がない・・・、というような事をぼんやりと思いだしながら、スローモーションのように、ただ転がっていた。

ワシは、上半身が起き上がった気がした!すると今度は、背中全体に圧倒的な重さがのし掛かってきた!
まったくあがなう余地がない!
ワシは、まるで過剰な前屈の柔軟体操のように、上体をくの字に折り曲げられ、腰からはメリメリという音が聞こえたような気がした。

ほんの1秒、2秒だったと思うが、ワシはその過剰な柔軟体操から遂に解放された。

腰が猛烈に痛い!

気が付けば、ワシはバスの下にいた。
まぶしい…!?
バスの左後輪が、ワシの単車に乗り上げるように停車している景色が見え、単車のヘッドライトがワシの顔を照らしていた。
「だから、まぶしかったのか・・・。」

バスのシャシー(車体の底)からアスファルトまでの隙間は、40センチ位だろうか?
(今時の低床バスなら、間違いなくミンチだったろう。)
ワシの背中にのし掛かってきたのは、バスのシャシーだったという事を瞬時に理解した。

ワシは腰の激痛に耐えながら、必死にほふく前進のような格好でバスの下から這い出た。
上半身が出た時、どこからともなく叫び声が聞こえてきた!

「バイクのお兄ちゃんを牽いちゃったよ!!」

見上げると、バスの窓から顔を出しているおばちゃんと目があった。

結局、後輩は大した怪我もなく無事。
逆に、ワシが後輩に見舞われる羽目になってしまった。

ワシは、単車が潰れて廃車。後の現場検証で明らかになったが、ワシはバスの下敷きになったまま15メートルを引きずられていた。
奇跡的にも、怪我は左肋骨二本骨折、肝臓出血、腰の捻挫程度で全治1ヶ月、入院一週間で済んだ。

そんなこんなで、大学時代だけで3回も救急車の世話になったのだ。
ワシは結局、怪我が多いというのは相変わらずで、大学時代には三度も救急車の世話になったのだか、そのたびに奇跡的な幸運に見舞われ五体不満足にならず、現在に至る。
救急車の世話になったのは、いずれも単車の事故だ。
事故の話しで、奇跡を感じた話しを一つご披露したい。

ある日ワシは、箱根1号線を三島側から芦ノ湖に向かい峠道を攻めていた。
しばらくすると、対向車線から見慣れた後輩の単車が走って来るのが見えて来た。

すれ違い様、後輩もワシに気が付いたらしく手を振っている。だが、挨拶にしては必死すぎる!違和感を感じたワシは、その場で停止し彼らが引き返して来るのを待った!

「○○が修善寺で事故りました!どうしたらいいか判らないので、助けて下さい!!」

可愛い後輩の一大事だ!ワシはレッカー車を手配し、事故現場に急行した。
もはや、制限速度どころではない!信号無視こそしなかったが、発進の度にウイリー状態だ!

いよいよ、修善寺駅が近くなった。国道134号線は週末ということもあり渋滞中!ワシは、すり抜けを鬼のように続けていた!
視界に、○○観光の観光バスが見えて来た!
皆さんは、「殺傷因縁」と言う言葉を聞いた事があるだろうか?
ワシが初めてこの言葉を聞いたのは、中学生の時に母親からであった。

事の子細はこうだ。

ワシは、子供の頃から怪我が多かった。覚えているだけでも・・・、

○幼少の頃、部屋の窓ガラスを突き破り、歩道に飛び出す。ガラスで右腕上腕部に切り傷。8針縫う。
○小学生の時、エスカレーターのベルトに右手を巻き込み骨折。
○小学生の時、スキージャンプの着地に失敗し、左足骨折。
○小学生、野球の打球が鼻を直撃。鼻骨骨折。
○中学生、彫刻刀で左人差し指切る。5針縫う。
○中学生、自転車で転び、左膝に大怪我等々。
(これくらいでやめておく)
余りにも怪我の多い我が子が心配になった両親は、某地元の民俗学研究者で拝み屋でもあった人物に鑑定を依頼。その結果は、こうだ。

ワシは群馬県太田市出身。先祖は武士の家系で、先祖は鎌倉幕府倒幕で有名な、新田義貞公とともに鎌倉攻めに参加し、相当の敵と闘い切り殺していた事がわかった。
これはなにも心霊的な技を使い鑑定された訳ではなく、家系図や住んでいる場所、名字から明らかになった。
代々武士の家系というのは、特に戦などで活躍した(つまりそれだけ多くの敵を斬った)武士の家系、特に長男には「殺傷因縁」が色濃く出るらしく、子孫に怪我や病気が増え短命に終わるケースも少なくないらしい。

つまりは、先祖が散々に斬った人々の怨みつらみ、無念の思いが子孫にふりかかるというメカニズムだ。
それを因果応報とも言う。殺された者共が、一丸になって自分を斬った者に対して怨みを晴らすべく、家の跡取りを亡きもにして、一族を消そうとしている・・・、と言うことだ。

実際、ワシのじいさんは病気で50歳で半身不随となり60足らずで死去。長男だった叔父さんは、心臓麻痺で40代で死去。その息子の長男は、とある理由で現在行方不明。
ワシの父は次男であったが、本家の長子が立て続けに亡くなったもので、家を継ぐ形になった。
そこへ来ての、自分の長男(つまりワシだ)の怪我である。
まともな親であれば、本気で心配せずにはおられまい。

ただその拝み屋からは、こうも言われたそうだ。

「まぁ、あんたらの息子には守護霊が5人程ついているから、命を落とす事はなかろう。ただ、そうだからといって、あんまり守護霊をあてにして無茶をさせないことだ。」

「怨霊連合軍VS守護霊連合軍の闘い!?
なんか、凄い話だなコリャ!」
当時、確かそんな事を感じたのを思い出した。

皆さんの周りでも、先祖が武士はいないか?いたら、要注意だぞ。