こんにちは!ジーコです!

昨日から暖かくなって、一気に桜が咲き始めましたね!皆さんのお住まいの桜はいかがでしょうか?

 

さて、先週の日曜日の出来事です。

こんな感覚でいつも人に接することができたら幸せだな~という体験をしました。

 

午前中の仕事を終えて、職場から徒歩20分ほどのところにある○○駅で2時から人と会う約束をしていました。思いの他早く着いたので先に食事を済ませようと、ある定食屋さんに入りました。

注文をして食事(ちょっと贅沢にお刺身定食!)を済ませて、お会計をしようと鞄から財布を出そうとした時、

 

あれ?あれあれ?ない!財布がありませんでした!

 

ジーコ心の叫び「え~、マジか!うわっ、どないしよ~」

 

もう、いくら探しても財布が無いのは明らかな状況で、何をどう考えても支払うことはできずにいた私の頭に浮かんだことは2つ。

 

無銭飲食をした罪に対して、通報されるか皿洗いをさせられるかのどちらかだと思いました。

そして、正直に店員さんにお財布がなく支払ができないこと、何とかしてお金を持ってきますと伝えました。

ジーコに対する処分は、店側に委ねて判決を待つ被告人のように結果を待っていると店の奥から出てきたスタッフが言った言葉は、

 

店員「どうぞ行って下さい。」

 

ジーコ「え?あの名前と電話番号を書きますよ。必要なら免許証も……

 

店員「いえ、結構です。信じてますから」

 

そして、店を出る時になぜか、スタッフがから

「ありがとうございました!」と大きな声で見送られました。

 

ジーコ心の声「なんでやねん!」

 

私は、2時に会う友人を待ってお金を借りることもできましたが、それよりも早く、何とかしてお金を返したい!

そう思っていたら、職場にいる同僚からお金を借りることを思いつき、職場に戻りお金を借りて、すぐにお店に戻って支払いました。

 

その道中感じたことは、もちろんお金は払わなければならなかったのですが、弁解の余地のないジーコのミスを赦してくれたこと。そして外に出したら、そのまま逃げられる可能性もあることも承知で、見送ってくれたこと。

 

そしてジーコに「信じていますから」と言葉をかけてくれたこと。(この言葉が嬉しかった!)

 

どこのだれかも分からない者にかけてくれた目には見えない「信頼」に何とか一刻でも早く応えたいという思いと、それができた時の喜びというのは、ただお金をきっちり支払ったということ以上に何か心に違った喜びがありました。

 

相手の信頼に応える時の喜びというのは、その背後に犠牲と赦しと愛があるということ。それが信頼という言葉が形となって受けとめて初めて、自分の行動の動機や意味が違ったものになります。

 

幸せというのは、何かを与えられて幸せになる。それも確かにあるのですが、誰かに対して与えるというところに、私達が本当に幸せになる秘訣があるのではないかと思いました。

 

それを「愛する」という言葉で表すなら、愛とは決して何かに強制されてするものでもなく、しなければならない戒めのようなものではなく、自発的な喜びを伴ったものなのでしょう。

 

こんなジーコでも「信じて(信頼)くれている」人がいたことに何とも言えない心に嬉しい気持ちが溢れてきました。と言うことは、誰かを「信じる」という行為はたとえ、裏切られたとしても(と分かっていても)相手を信頼し信じることで、本当の豊かな関係が築かれていくのではないでしょうか。

 

相手を信じること、その信頼に喜んで応えることが、私達にとって幸せになる秘訣なのかもしれませんね。

 

っとまぁ、こんなことを感じたので共有ました!

 

皆さんも、幸せの秘訣がありましたら教えてくださぁ~い!

 

読んで下さり有難うございました!