時代が反転した日
今思い返しても、あれは不思議な出来事だった。
2000年を少し超えたあたりだろうか。
それまでヴィジュアル系のシーンで主流だったのは、いわゆるコテコテ系だった。
濃い化粧、派手な衣装、独特の世界観。
音楽だけではなく、見た目も含めてひとつの作品を作り上げる。
そこには様式美があり、美学があった。
ただ派手に着飾っているわけではない。
バンドそれぞれが、自分たちの世界観を表現するために、その姿を選んでいたのだと思う。
ところが、ある時期を境に、その価値観が突然ひっくり返った。
格好いいとされていたものが、突然ダサいと言われる。
コテコテ=ダサい。
コテコテ=古い。
まるで呪いのように、その言葉がシーン全体を覆っていった。
そして、周囲のバンドは一斉にオサレ系へと舵を切っていった。
時代が変わった。
昨日まで正解だったものが、ある日突然、不正解にされたような感覚だった。
自分の歌った「マロリー夫人の秘やかな欲望」が、処分品のBOXに入れられ、300円で葬られていた。
あの光景は、今でも鮮明に覚えている。
もちろん、作品の価値は価格だけで決まるものではない。
そんなことは分かっている。
しかし
自分が身を置いていた世界そのものが、時代から取り残されていく。
そんな現実を突きつけられたような気がした。
あまりにも突然だった。
ダサい、古いと言われ、居場所を失っていくコテコテ。
昨日まで当たり前だった美学が、いつの間にか時代遅れという扱いになっていた。
そして、自分自身も生きていくために、オサレ系へと手を染めることになる。
オサレ系の時代に突入すると、どのバンドも似たような楽曲、似たようなルックスへと寄っていった。
もちろん、その中にも素晴らしいバンドはいたし、オサレ系というスタイルそのものを否定するつもりもない。
問題は、ひとつのスタイルが主流になることではない。
それまで存在していたスタイルが、まるで価値のないもののように扱われ、次々と姿を消していったことだ。
それが、どうにも不思議で仕方がなかった。
流行が変わること自体は、いつの時代にもある。
しかし、流行が変わることと、過去の美学が否定されることは、同じではないはずだ。
そんな時代の中で、流されなかったバンドがいた。
Loon Eye's Millyie。
何度か一緒になったことがある。
対バンは、全てオサレ系。
そんな中にあって、彼らだけはコテコテを貫いていた。
周囲が次々と変化していく中でも、自分たちのスタイルを変えなかった。
時代に逆らっていた。
当時の自分は、彼らと特別な交流があったわけではない。
オサレ系の時代に突入していたシーンの中で、彼らは明らかに異質な存在だった。
だからこそ、深く関わることもなかった。
ただ、今になって思う。
彼らこそがロックだったのかもしれない。
本物のロッカーだったのかもしれない。
流行に乗ることが悪いわけではない。
時代に合わせて変化することも、ひとつの選択だ。
けれど、周囲が変わっていく中で、自分たちの信じるスタイルを貫くことにも、相応の覚悟が必要だったはずだ。
当時の彼らが、何を考え、何を思って活動していたのか。
今となっては分からない。
結果として彼らは時代に流されなかった。
そして今、令和。
誰も想像していなかった現象が起きている。
あの時代のコテコテの作品や音源が、海外で注目され、売られている。
古い、時代遅れ、と言われたものが、今になって受け入れられている。
もちろん、当時とまったく同じ時代が戻ってきたわけではない。
聴く人も、音楽を取り巻く環境も変わった。
それでも、あの頃の作品に価値を見いだす人たちがいる。
これは、なかなか興味深いことだと思う。
流行とは何なのだろう。
ある時代には正解とされ、別の時代には不正解とされる。
そして、さらに時が経つと、かつて否定されたものが再び評価される。
時代に合わなかったことと、価値がなかったことは、決して同じではない。
あの頃の自分には、そこまで考える余裕はなかった。
ただ、時代の流れに戸惑い、自分もその流れの中で生きていくしかなかった。
時代が変わり、価値観が変わり、再び古の音楽を求める人たちが現れた。
あの日、ひっくり返ったと思っていた時代。
もしかすると、あれは終わりではなかったのかもしれない。
ただ、長い時間をかけて、もう一度反転する日を待っていただけなのかもしれない。
俺はやめていたタバコに
火をつけた
