
今から2500年前、マガダ国のビンビサーラ国王は、ブッダがまだ釈迦族の王子であった時から親交のある人物で、後に仏教に帰依した王様です。
首都ラージャグリハ(王舎城)は、美女たちを並べた娼館が有名で、各国の商隊がそこを好んで通過したので、いろいろな国のいろいろな物資が集まり繁栄しました。
その娼館で一番の美女はサーラヴァティーといい、当然王様のお手付きとなりました。
サーラヴァティーはビンビサーラ王の子を宿したので、ゴミ捨て場に密かに捨てます。
その出生が知らされれば殺される運命にあったからです。
そこにビンビサーラ王の息子アパヤ王子の行列が通りかかり、カラスが集まっていたので家来に調べさせると赤子が見つかりました。
王子が「まだ生きているか」と問うと、家来が「生きています」と答えたので、シワカ(生きている)と名付けられ、アパヤ王子の子供として大切に育てられました。
シワカは成長し自らの出生の秘密を知ると、独立の意思を持って王宮から家出し、その頃の学問の中心であったタキシラの地(現在のパキスタン)の名医ピンガラ(賓迦羅)から7年間医術と薬学を学びます。
シワカはずば抜けた生徒で先生に教えられるというよりは、いつも適切なアドバイスを先生に与えた弟子だったようです。
シワカの卒業試験は、森に入り植物の中で薬にならない草を探してこいと言うものでしたが、シワカは手ぶらで帰って来て、「万草薬草」つまり薬にならない草は何もないという答えで、他の学生たちを凌いで卒業します。
ラージャグリハへの帰り道、6年間頭痛に悩まされていた大金持ちの婦人を痛みから解放し、褒美にたくさんの金品・奴隷・馬車をもらいます。
アパヤ王子のもとに帰ったシワカは、自分勝手な行動を謝罪し、それらの金品を差し出しますが、王子にとっては無事に帰って来たことだけで十分な贈り物でした。
シワカの医療は、ハーブやオイル・バターを塗りマッサージする外科的治療、ハーブを処方する内科的治療、腹部の切開手術、頭蓋骨を切り開く脳外科手術に至るまで多岐に渡るものだったと記録されています。
インド伝統医学「アーユルヴェーダ」の系譜の中では、シワカは「インド外科学の父」と言う記述もみられます。
シワカの医者としての名声はブッダまでにも知られることになり、ビンビサーラ王の紹介でブッダの主治医となり、仏教医学を創設しました。
ウッチェニー国の暴君チャンタパチョー王は、長い間持病に悩まされていましたが、名医シワカ・コマラパの噂を聞いて出頭命令を出します。
シワカは王を検診して治療できると確信しますが、王の条件は①治療できなかったら首を切ること②嫌いなバターを使わないことでした。 バターはこの治療には必須でしたが、シワカはこの条件を飲みます。
王は薬を飲んでしばらくしてから、バターが入っていることに気づき激怒しますが、その時シワカは逃走した後でした。
王は足の速いカーカという家来を呼んで、シワカ・コマラパの首をとってくるように命じます。
カーカはシワカを捕まえますが、シワカは疲れ果て空腹のカーカの為においしそうな木の実に下剤を入れて差し出します。
カーカは始めは恐る恐る手を出しますが、つい我を忘れ木の実にムシャぶりつきます。
シワカは下痢による腹痛で動けなくなったカーカを残して立ち去ります。

カーカは打ち首を覚悟で重い足どりで王のもとに戻りますが、そこで待っていたのは 歓喜するチャンタパチョー王でした。
長年の持病が回復したチャンタパチョー王は、シワカ・コマラパに医者としての讃辞 と高級な織物を褒美として遣わします。
シワカはこの織物をブッダに捧げ、これをきっかけに仏教徒たちに織物の寄進が解禁されました。
それまでの仏教徒は埋葬された死体から剥ぎ取ったボロ布を着ていました。
現代でもよく見られる僧侶の黄色やオレンジ色の僧衣は、本来はウンチやおしっこが 染み込んだ色でした。
歴史上のメルクマール(転換期)には、地球上の文化を飛躍的にジャンプ(進化向上)させますが、この時代はシワカが人々の体を治し、ブッダが人々の心を癒しました。