異性と繋がることで自分は救われるのだろうか?
もう、本当は救われる事はないと薄々気付いているのに、幻想に固執している。
そもそも、その異性は現実には存在しない。
自分の理想像を貼り付けた幻影でしかないのに。蜃気楼に触れようとしても触れられないのと同じことを、しようとしている。

そこにないものを求めてしまうのは、結局、今の自分を自分が許していなくて認めていないからだと思う。
だから自分にないものを付加価値として、付け加えていこうとする事で、自分を承認しようとしている。

…でも、そんな事をしてもそれが出来ないのも頭では分かっている。
「今」の自分を許して認められない以上、何をしようと、何を知ろうと、何か出来なかった事が出来るようになろうと…永遠に続くこの「今」の自分を否定し続ける限り、救われる事はない。

異性に好意を抱く時、いつも同じ道程を辿ってきた気がする。
それは容姿が優れている、というのも確かにあるけども、確定的なそれではない。
最も確定的なのは、今の欠落感に満ち満ちたこの自分を、受け入れてくれるんじゃないか…理解してくれるんじゃないか…救ってくれんじゃないか…という淡い期待感を抱いた時だった。
それは、最早好意ではなく宗教じみた思考に近い。

異性の中に女神を見る感覚。

強烈に好意を抱いていた時ほど、自分の精神状態は酷く落ち込み暗いものだった。
別にドン底でない時であっても、ふとした拍子に理解してくれるのでは…と期待してしまった時、何とも思っていなかった異性にすら、執着するようになる。

自分がドロドロにドス黒く抜け出せない闇にいればいるほど、似たような陰りを持っている気がする異性に惹かれた。
同じ闇を抱えているなら、自分の事をきっと理解してくれる、そしたら僕は救われる。そう思えた。

それは己の深い闇がある故に、生み出してしまった幻想でしかないのに、それを追い求め続けてきた。
その異性に見出した心の闇は、悲しい程鮮やかに自分自身の心の闇の投影でしかなかった。

自分が苦しんでいるから、きっとこの人にも似たような悩みや苦しみが在るはず…と。
そうした存在がいれば自分は自分を変える事をせずに、泣けなしの希望を持てた。

いつか、この人に理解されれば自分は救われる…だから今は耐え忍んで、早くこの人の好意を得ようとしていた。

全ては自分の苦しみが生んだ、虚しくて悲しい幻想の中の一人芝居だった。

自分が闇の中にいる以上、あらゆる人間の中にそれを見出し続けるだろう。
そして、また救ってくれそうな異性を見つけ、その人に都合の良い陰りを見出し、近付き拒絶される。

僕は何一つ他人を見る事など出来ていない。
明日、誰か新しい人に出会えたとして、その人と本当に出会えるのだろうか。
また、自分の心の投影をした適当な都合のいい偶像と話し、出会った気になるだけなのではないか。

他人の中に見出す感情、感覚こそ、自分の今の在り方そのものだ。

誰も、自分を救ってなんかくれない。
自分を救い出すのは自分だ。

依存することで希望を見出しがちになるけれど、それは蜃気楼だ。
実在しない、永遠に届かない希望を眺め続けるのは楽でいい。
自分を変える辛さや、労力を必要としないからだ。
でも、そうし続ける限り僕はずっとこの闇から抜け出す事は出来ないだろう。

本当に救われたいなら…今この瞬間から自分の意識を変えるしかない。