西安義行さん行方不明事件 | 全曜日の考察魔

全曜日の考察魔

いろんなことが学べるぜ。

あけましておめでとうございます。

事件概要

1987年(昭和62年)3月15日、兵庫県市島町(現:丹波市)の自宅から、高校時代の友人である石川靖さんと京都府舞鶴にドライブに出かけ、海を見て食事をして帰り、西安さんは、綾部駅近くで『列車で帰る』といって降車した。
1時間後、西安さんは、「無事着いたか?」と春日町(現:丹波市)の友人(石川さん)宅に電話。
その後の消息が不明。失踪当時21歳。
失踪後、不審な電話や訪問があった。

  • 男性の声で「僕、学校の横」という不審電話。

1987年5月、母の久子さん(当時68歳)が電話を取ると、小さな声で「僕、学校の横」と聞こえた。
震える声の主は息子と思えた。「義行やろ」。声をかけると、電話は切れた。

  • 女児の声で「明かりをつけましょ ぼんぼりに〜」という不審電話。

1993年3月ごろ、女児がたどたどしく「歌うから聞いて」と告げた。

「明かりをつけましょ ぼんぼりに…」
ふと思いつき久子さんは「あんた、義行の子か?」と問うたが、返事はなかった。

  • .地下足袋を履いた2人組の訪問。

1998年、地下足袋を履いた2人組が近所の区長宅を訪問し、「西安義行の両親の家はどこか」と尋ねる。
二人は「西安さんが結婚する相手の近所の者」と名乗った。

  • 20年後の不審電話

2007年11月、女の子が「圭子さんはおられますか」と電話してきた。留守を告げると、電話は切れた。

 

西安義行さんに関わる写真について: 荒木和博BLOG

 平成23年に「特定失踪者問題調査会」が、12年ごろに北朝鮮・平壌周辺で撮影された義行さんとみられる男性の写真を公表した。しかしこれ以降、義行さんに関する情報は寄せられていない。

義行さんがいなくなって四半世紀余り。北朝鮮は、拉致被害者らの再調査を行う特別調査委員会を立ち上げた。

父親の逸郎さんは「北朝鮮で義行は結婚し、子供も生まれたと信じたい。生きていると信じていなければやってられません。絶望したらおしまいです」と、自らを奮い立たせるようにこう言い切った。「義行の安否を知りたい。家族がいるなら一緒に帰ってきてほしい」と期待を寄せた。