佐賀女性7人連続殺人事件① | 全曜日の考察魔

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いろんなことが学べるぜ。

1枚目、佐賀県多久市の鬼ノ鼻山展望台から、武雄市北方町志久大峠を望む。

1989年1月、大峠の町道沿いにある雑木林で、成人女性3人の遺体が発見された。〇のあたりが遺体発見現場で、標高およそ70m、〇のやや左側に見えるのが大峠の集落、そのあたりの標高は約40mとなる。

2枚目は、衛星画像で見た図。向かって右上に〇---3女性の遺体発見現場---あり。右下の須古小学校では、1980年に、2か所の便槽から女性2人の遺体が発見された。

〇と須古小学校の距離は、直線で約6km。

 

※※ パソコンからご覧の場合で、画像によってはクリックしても十分な大きさにまで拡大されず、画像中の文字その他の細かい部分が見えにくいという場合があります(画像中に細かい説明書きを入れている画像ほどその傾向が強いです)。その場合は、お手数ですが、ご使用のブラウザで、画面表示の拡大率を「125%」「150%」「175%」等に設定して、ご覧いただければと思います。※※

 

この事件も、詳しくまとめられたサイトがいくつかあり、今さらここで・・・という感じがしないでもない。

 

ただ、被害者が7人と多く、それぞれに関連して出てくる土地の名前、ましてやその位置については、多くの人がチンプンカンプンではないかと思う。

 

そこでこちらでは、遺棄現場など、事件の関連場所を図示して、大体の位置関係を把握できればそれでよし、というぐらいのスタンスでまとめてみたい。

 

佐賀女性7人連続殺人事件とは、1975年から1989年までに、佐賀県で7人の女性が殺害された事件。

 

「連続殺人事件」とは言うものの、すべてが同一犯によるものかは定かではない。

 

7人の被害者のうち、6人が水曜日に失踪しており、少なくとも4人の死因が窒息死(絞殺または扼殺)であったため、「水曜日の絞殺魔事件」とも呼ばれている。

※ちなみに、このブログの名前はこの「水曜日の絞殺魔」からとっています。

(便槽と大峠で白骨化して発見された2遺体は死因不明。便槽から腐乱状態で発見された1遺体の死因については、不明ともいわれ、絞殺ともいわれる)

 

被害者らはいずれも、夕方から夜にかけて失踪していた。

 

1989年に3女性の遺体が発見された、佐賀県武雄市北方町志久大峠の雑木林の位置(赤ピンの先)

佐賀女性7人連続殺人事件

 

少し寄った図、福岡、熊本、長崎などとの位置関係はこんな感じ

佐賀女性7人連続殺人事件

 

 

それぞれの事件を、大まかな内容とともに、年代順に並べたものは次の通り。

  1. 1975年8月27日(水)、杵島郡北方町大渡在住の北方中学校1年Y.Tさん(当時12)が、一人で留守番していた自宅から失踪。約5年後の1980年6月27日に、杵島郡白石町の須古小学校プール横トイレの便槽から白骨化した遺体で発見された。死因不明。
  2. 1980年4月12日(土)、杵島郡大町町福母在住の喫茶店アルバイト従業員H.Rさん(当時20)が、一人で留守番していた自宅から失踪。約2か月後の6月24日、杵島郡白石町の須古小学校北側校舎トイレの便槽から遺体で発見された。遺体は腐乱状態、死因は不明とも絞殺ともいわれる。本件のみ、失踪日は水曜日ではない。
  3. 1981年10月7日(水)、杵島郡白石町東郷在住の縫製会社勤務I.Cさん(当時27)が、退社後に、近くのスーパーマーケット駐車場で車に乗った30代とおぼしき男と話しているのを目撃されたのを最後に失踪。同月21日に、最後の目撃地点から約40km離れた三養基郡中原町の空き地で、首に電気コードを4重に巻かれた絞殺遺体で発見された。
  4. 1982年2月17日(水)、三養基郡北茂安町白壁在住の北茂安小学校5年N.Kさん(当時11)が、下校途中で失踪(午後4時20分過ぎ)、翌18日の正午前に、北茂安中学校体育館北側の町道脇ミカン畑で、首にストッキングを巻き付けられ絞殺された状態で発見された。(現場は、1981年にIさんが遺体で発見された空き地から約2km離れていた)
  5. 1987年7月8日(水)、武雄市武雄町富岡在住の飲食店従業員F.Sさん(当時48)が、退勤後に、同僚2人と武雄温泉街にあるスナックで飲み、近くの西浦通りで別れた直後に失踪(午後9時20分ごろ)、1989年1月27日に、北方町志久大峠の雑木林で白骨遺体で発見された。死因不明。
  6. 1988年12月7日(水)、杵島郡北方町志久の主婦N.Kさん(当時50)が、自宅で夕食をとった後、午後7時20分ごろに「ミニバレーボールの練習に行く」と言い残し、700mほど離れた北方スポーツセンターに徒歩で向かったのを最後に失踪。1989年1月27日に、北方町志久大峠の雑木林で遺体発見。遺体は腐乱状態。死因は扼殺。
  7. 1989年1月25日(水)、杵島郡北方町大崎在住の縫製会社勤務Y.Tさん(当時37)が自宅で夕食をとっていたところ、何者かに電話で呼び出されて、軽自動車で外出、その軽自動車を武雄市内にあるボウリング場の駐車場に残したまま失踪。2日後の1989年1月27日に、北方町志久大峠の雑木林で遺体で発見。死因は扼殺。

 

 

1~4の事件については、起訴されずに、公訴時効が成立している。

5~7の事件については、2002年に写真の男性が訴追されたが、無罪判決となり、結果的に、1~7のすべてが未解決事件となっている。

 

5~7の事件は、遺体発見現場の地名をとり、「北方事件」と呼ばれている。

 

北方町(きたがたまち)は、事件当時は杵島郡(きしまぐん)に属していたが、2006年3月に、隣接する武雄市・山内町と合併して「武雄市」となっている。

 

三養基郡北茂安町(みやきぐんきたしげやすちょう)は、2005年3月に、同郡にある中原町・三根町と新設合併し、「三養基郡みやき町」となっている。