LF1『雄鶏と錨』亭37-2 | 左団扇のブログ

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「剣を鞘に収めろ。そこでだろうが、他の何処でだろうが、お前のやる事は徹底的に頓挫させて見せるぞ」と、ブラーデンが半ばひどく怯えながらも野蛮に叫んだ。「剣を鞘に収めろと言うんだ、そして、何にせよ馬鹿な真似はよせ。お前がもうおしまいなのが分からないのか……、お前にはもう勝算は無い。檻の中にいるのに、鉄格子に体をぶつけて粉々になる必要は無いのさ……、お前はおしまいだと、言っておこう」

 無言ながらも、絶望をたっぷりその挙動に見せながら、アシュウッドは剣の輝く細い刃を摑み、打ち砕いた。その破片が彼の手から落ち、自身も生気を失ったかの様に椅子に崩れ落ちた。その光景が余りにも不気味で、ブラーデンは一瞬、自分が食い物にしようとする相手が、死に拠って苦しみから解放されてしまうのかと思った程だった。

「チャンシー、こっちに出て来い」と、ブラーデンが叫んだ。「(やっこ)さん旋回病[1] (かか)っちまったぞ……、出て来い、さあ」

「ああ、おやおや」と、チャンシーが彼らしい落ち着いた言い方で言った。「でも、ひどく具合が悪そうですな」

「行って体を揺すって見ろ」とブラーデンが相変わらずピストルを片手に言った。「何をびくびくしてる。奴はお前さんを傷付けたりしない……、自分のビルボー剣[2] を折っちまったんだ……、上流階級の象徴をな。全く、ひどく悄気(しょげ)てるぜ」

 こんな風に二人がしゃべっている間に、アシュウッドは立ち上がったが、生身の人間と云うよりかは、動作を授かった死体の様だった。

「直ちに僕を連行しろ」と、彼は不機嫌そうに荒々しく言った。「刑務所でも、お前達の好きな何処にでも連行しろ……、何処だってここよりはマシだ。連行しろ。僕は破滅した……、こっぴどくやられた。もう好き勝手にするが良い……、お前達の悪魔の様な計画は成功した……、僕を刑務所に連行しろ」

「ああ、すげえや。刑務所に入りたいんだとさ……、聞いたか、チャンシー」と、ブラーデンが叫んだ。「そんな事を思うとは何と上品で立派な紳士だろう。准男爵が刑務所に、それも文書偽造で入ると考えるだけで嬉しくなるぜ。死刑囚監房なんて、およそ紳士に似付かわしくない独房だからな。まあ、貴族の来訪者達を受け入れるのにふさわしいものにするには、際限無く香水を使わなくちゃならんだろう。某閣下の為にはこれ、某夫人の為にはこれとな……、何しろ無論、お前は最上の仲間としかお付き合いしないだろうからな……、ホー、ホー、ホー。もしかしたら、お前さんを裁く判事も古馴染みかも知れん、何しろお前の運は驚く程だからな、違うか、チャンシー。そして、判事はお前に結構なお世辞を一言述べ、判決を下す時には遺憾の意を示すだろうて、違うかい、ホー、ホー、ホー。だが、やはり忠告しておこう、お前の様な立派な紳士に目下の者にへりくだった態度を期待するのが無理で無ければ、牢番とは出来るだけ仲良くしておく事だ……、お前が置かれる格別に微妙な状況では、お前が作れる最も有益な友人だからな、ホー、ホー。彼等の中にはお堅い者もいて、お前と関わりたくないかも知れない。収監中の偽造人やスリ等の特定の種類の罪人とは親しくしないのさ。だが、牢番が許すなら、親しくしておいた方が良いぞ……、ホー、ホー、ホー」

「刑務所に連行して下さい」と、アシュウッドが(いかめ)しく言った。「どうせそうするつもりでしょう。直ちに僕を警官達に移送させて下さい、どうせ、隣の部屋にその為の人間を用意しているんだろうから。彼等に馬車を呼ばせれば、僕は彼等と共に行くさ……、だが直ぐにやってくれ」

「結構、あながち間違ってはいないぜ」と、ブラーデンが応じた。「隣の部屋には肩幅の広い知り合いが一人二人いるし、ちょっとした令状もある……、言ってる意味が分かるかな……、隣の部屋さ。グライムズ、グライムズ、入って来い……、お呼びだぞ」

 外套のボタンを顎まで留め、口の端から短いパイプを突き出した、大柄で醜い顔の男が、まるで人混みや凡ゆる種類の騒々しい人々の間を、習慣的に肩で搔き分けて進んでいるみたいな、独特のふんぞり返る様な歩き方で部屋に入って来た。

「あれが(やっこ)さんですか」と、そいつはパイプでアシュウッドをぞんざいに指し示しながら、訊ねる様に言った。「お前を収監する」と、不運な若者に無愛想に話し掛け、それと同時にどっしりとした手を彼の肩に置き、もう片方の手でしわくちゃになった令状を見せた。

「グライムズ、行って馬車を呼んで来い」と、ブラーデンが言った。「そして、一刻も無駄にするな、いいか」

 グライムズが出て行き、しばらく間を置いて、ブラーデンは幾らか口調を変えて、不意にまたアシュウッドに話し掛けたが、更に仮借の無さが増していた。

「さあて、お前さんに本当の処を教えるとしようか、若いの、俺は半分はお前を刑務所に送らない気持ちでいるんだ、分かるか」

「ふんっ」と言って、アシュウッドは苦々しげに背を向けた。

「断っておくが、俺は本当の事を言ってるんだ」と、ブラーデンが応じた。「ともかく、今お前をそこに送り込むつもりは無い。今晩少しお前と話がしたいんだ、そして、刑務所に行くか行かないかはお前次第、公正に選択権を与えてやろう。それでは、今晩八時にモーリー・コートで会うとしよう。それまでの間に何か問題が起きない様に、我々の共通の友人チャンシーと、共通の知り合いグライムズに、馬車でお前を家まで送り、俺が訪問する前に外に出ない様に見張っていてもらう事に異論は無かろうな。ちょうどグライムズが戻った。グライムズ、俺の親友のヘンリー・アシュウッド卿は君に格別の友情を感じていてな、君に馬車で同行してモーリー・コートの屋敷を見て欲しいそうだ、そして、彼は健康の為に屋敷にいる必要があり、一瞬でも独りきりにはなりたくなく、チャンシーやお前と一日一緒に過ごして欲しいとの事だ。ヘンリー卿、馬車が玄関に来ていますぞ。紙幣を束ねておいた方が良いですよ、役に立つかも知れません。チャンシー、通りすがりに、ヘンリー卿の馬丁に今日はもう馬が必要無いと伝えてくれ給え」

 一行が外に出た。ヘンリー卿は死人(しびと)の様に顔を蒼ざめかろうじて脚で立ちながらチャンシーと強靭な警官歩いていたブラーデンは彼等が馬車の中に安全にると、御者に命令を出し彼等がモーリー・コートの方角へ走り去るのを紅潮した顔と高鳴るとで見送った



[1]  馬、牛、羊等が罹る病気。脳炎等に因り旋回運動をし続けるもの。

[2]  スペインのバスク地方のビルバオ(バスク語でビルボー)で産出された鉄を元に、良く鍛えたられたしなやかや剣。船乗りに愛用された。