212熱狂(12-1) | 左団扇のブログ

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 使用人の誰かが屋敷の窓から、これらの出来事の一部を目撃したのだろうか。数日後、ランドール家で一家にちょっとしたドラマがあった事が、サン=ジョルで噂になった。奇妙な事に、私とベルトとの関係の話が二年間醱酵して来た沈殿から遂に湧き上がり、表面ではち切れて、鼻孔が心地好さそうに吸う、新たな醜聞の危険な臭いと混じり合った。ドヴリューの(せがれ)は姉妹の愛人で、そしてフィリップ・ダルザがその三人の現場を取り押さえたと云う噂が広まった。最初こそ覚束なかったものの、それはたちまち公式の話となった。
 

 その後、全てが有り得る話となり、実際、嘘も本当も、人々の眼には有り得るものとなった。関係が薄くても聞き覚えのある出処(でどころ)につながるゴシップも、会話の衝撃から自然に発生したゴシップもだ。私がクレールに伝言を託したり、彼女を逢引の場に連れて行ったりしたとか郊外に一軒家を借りてそこを自堕落の現場にしつらえたとか、或る娘[1] に金を与えて匿名の手紙を書かせ、それを近郊の宿屋の亭主を介して、ヴェールを被った女性から受け取ったとか、その他にも二十もの告発内容があったが、それらの中には互いに両立しないものがあるにも(かか)わらず、私のダルザ夫人に対する愛と云う、主事実に付帯するものとなってしまった。


 当てこすりや親切な忠告に付き纏われ、異を唱えても証拠を浴びせ掛けられ、どんな手段も無駄な不毛の状況に対し、断固とした措置に頼るしかないと促され、母は私との見せ掛けの決別以外に解決策を見出せなかった。世間は私達が一緒にいる姿を見る事が無くなり、それに因って母を全ての責任から解放する事が出来るはずだった。


 しかし、世間はそうは思わなかった。攻撃は倍加され、私に関わる中傷は更に信憑性を増し、新たなものも広まった。母の立派な生き方が彼女にもたらす権威や評判に守られる事はもう無くなり、私はサン=ジョルの嫌われ者、爪弾(つまはじ)きの対象となった。


 これは大げさな話ではない。確かに、住民の誰もが私を破滅させようと画策し、故意に嘘偽りと密告の中傷活動をし続けたと主張するのは幼稚な事かも知れない。しかし、地方都市と云うこの匿名の存在は、脈絡の無い残酷な行為、片恨み、訳の分からない憎しみ、そして、毛嫌いだとか正当な怒り等から作られていて、断固として敵の立場を自任する存在だ。イギリス滞在時にも感じた、両腕を一杯に差し伸ばして私を除け者にしようとする印象が、見境の無い力が洞察力と自覚を持つ意志となった今、千倍も強く感じられた。現実の手が私の行く手を阻んだ。人々が実際に私を監視していた。彼等は互いに私の行為を推理しようと努めた。或る商店主が、或る時刻に私がショーウィンドーの前を通ったのに気付き、それを客の誰かに報告するのだった。こちらの名前を知っても、一体それが何の役に立つのだろうかと云った連中でさえも、自分の仕事をなおざりにして、私の行為に関する情報を集めようとするのを目撃した。実直な資産家(ブルジョワ)まるで地元の名士や人殺しの話でもあるかの様に、人が私に就いて語る話に耳を傾ける姿も見た。私が自分で歩いた跡に闇が見えた。
 

 こうした様々な待ち伏せを乗り越えて、どうやって人の注意を惹かずにジュヌヴィエーヴに近付けただろうか。ジュヌヴィエーヴの方も、女性の想像力で信じ難い程までに増大させた、危難を怖れる余り、そしてフィリップを悩ます疑惑がどんどん明白になる恐怖から、私に追い掛けられるのを避けていたのではないだろうか。私は何とか会う為に無謀な試みを積み重ねるしか無かったが、どうしてもそれらはことごとく露見してしまい、他人が知らない目標への新たな努力と解釈され、まるで私の側からの罪の告白、腹を立てている世論への挑戦となった。


 もう倉庫の周りに姿を現す度胸は無かった。私には歩道の舗石も家の石材も、私の存在を私自身と同様に疎ましく思っている様に感じた。信者達の大いなる気晴らしである教会のミサは、何度か素敵な日曜日を提供してくれた。私の立ち位置はまちまちだった。入祭唱(イントロイト)[2] の時は、右側の二本目の柱、ジュヌヴィエーヴの祈禱台の前で、終祭唱(イテ・ミサ・エスト)[3] の時には貝殻状の聖水盤[4] の所だった。ダルザ夫人(ジュヌヴィエーヴ)はミサに来なくなった……。
 

 サン=ジョルの上流社会が出入りする公衆浴場[5] には入り口が三つある。そこに行けば何時かはジュヌヴィエーヴに出くわすだろうと思い、一週間、一番目から二番目、二番目から三番目の入り口へとうろついたが、この三番目の入り口は会計係の女性がいる窓口から手の届く場所にあった。以前バザーでダルザ夫人に彼女の売り台の裾で声を掛けた朝、この会計係はダルザ夫人が私のちっぽけな策略の対象だと思わなかったのだろうか。彼女の口の軽さから生じた噂は、ダルザ夫人とドヴリューの(せがれ)が公衆浴場で会って、更衣室を共にしたと云うものだった……。


 ボロ服を着た子供の後を屋根裏部屋まで付いて行くと、そこで彼の母親が餓死しかけていた。私はジュヌヴィエーヴの憐れみに訴える為、その子を倉庫の中庭に連れて行って泣かせようと考えた。彼女は出て来てくれた。その後三日間、私達はその弱った母親を看病した。素敵な日々だった。しかし、その子は色々な他所の家でも泣き、その内の一人の奥さんが心を動かされ、病み上がり女性のベッドの脇で、私とジュヌヴィエーヴが菓子を食べているのを見付けるに至った……。


 婦人服仕立屋のアントワーヌ嬢の店、フェッサール姉妹の婦人帽子店、某上質靴店、某チロル風手袋店、某パリ風ランジェリー店、某高級コルセット店等々、私が(せわ)しそうにして不意に現れる場所は他にも沢山あった。大声で何かもっともらしい言い訳をするが、何時も馬鹿げたものだった。啞然としているジュヌヴィエーヴには小声で、息を切らしながらこう言った。


「あそこに行っているよ、とても苦しいんだ……、来てよ……」


 二月と三月に、彼女から二度の逢引をせしめたが、その代償に何とひどく無分別な行動をしていた事か。


「もっとおとなしく出来ないの」と、クレールに言われた。「せめて、無分別と無分別の間に間隔を空けなさいよ、どうせ嫌でも無茶をしなくちゃいけないのだから」


「ダメだ、出来ないよ……、ジュヌヴィエーヴに会える可能性があると思えば、それがどんなに僅かな可能性でも、自分を引き止めるのは無理だ」


「でも彼女に会う状況はとてもひどいものだわ」


「僕にはどうでも好い、とにかく会うんだ。仕方ないじゃないか、幸せになる為のほんのちょっぴりの機会を逃すなんて、僕には拷問に等しい」


「でも幸せなんじゃないの」


「僕は、石の様にとても幸せさ[6] 」と、笑いながら言った。「確かに同じ様な立場の他の人間なら不満を言うだろうし、実際、特に今年の夏以来、僕も時々絶望感に襲われる事があるが、一瞬でも幸福になれたら、それはとても幸福なので、そうじゃない時でも自分は幸福だと信じ込むんだ」


 覚書を適当にめくって、様々な時期に書かれた、こんなメモを妹に読み聞かせた。 


僕の中に喜びが消え去る事は無い。過去のそれぞれの喜びは僕の現在の一部になっている。途中でその内の一つでも脱落する事なく、それらを未来に向かって連れて行こう、まるで歌ったり、笑ったりする女友達連中の様に、他の女達が加わる事にも喜ぶ女友達の様に」


「喜びを逃す位なら、苦悩に堪える方がましだ。楽しまない事より苦しむ方が苦しみは少ない」


「幸福を受け入れるのに適した形状の魂がある。僕の魂には接触の心地良さを妨げる粗さは無い。あたかもリキュールを入れた壺が、酒とよく混ざる為に少し溶ける様に、魂の素材自体が柔らかくなる」


「幸福なら、僕は不幸に就いて考える事は決してないし、不幸でも、僕は自分の周りに幸福が漂っていると考える。幸福なら、それと無縁のどんな感覚に対しても眼や耳を塞ぎ、不幸なら、周りの四方八方を見て自分の生命の感受性を高め、手の届く喜びがたった一つでも通り過ぎない様にする」


 クレールが訊ねた。


「本当にそうする事が正しいと思ってるの」


アルマンド・ベルティエの言葉[7] を思い出し、妹に言った。


「この態度に対しては以前にも誰かに言われた事があり、おそらくそれは正しいだろう。危険なのは、恋愛において僕は既に幸福と云う概念を手に入れていて、その幸福が人を陶酔させるのに十分な程魅力的だと云う事だ」
 

 私達の(ゆう)べは何時もこんな風に仲睦まじい安らぎの色合いを呈し、それが私にはとてもかけがえの無いものとなっていた。の仕事の最良の思い出はこれに関わるものであり、(たの)しみの最良の思い出でもある。何故なら、お互い身近にいてこれ程子供っぽくあった事が無かったからだ。


 そして、妹の手本が私を強いものにしてくれた。彼女の人生への最初の飛躍に対し、運命は最初の失望と云う形でやり返した[8] が、彼女の性格から、その失望を心底吸収し、厳しく鍛えられた後で、やっとそれを私に打ち明けた。妹の新たな魂は私の魂よりもずっと深刻な傷を受けているのが分かった。そして、私の様に巧妙な保護の環境でそれを包んだりなどせず、既に受けた苦しみを、苦しみの治療法として受け入れるばかりだった。それに因って人の魂は金属の様に堅くなる。クレールは幸福と良く混じる為に自分の魂が少し溶ける事には我慢がならなかっただろう。それ処か、彼女は魂が、堅く、良く鍛えられ、鏡の様に滑らかで、幸福がこぼれ広がる日には、リキュールの一滴一滴がはっきり響く様な、よく反響するものでありたいと思っていた。


 兄の私と距離を置きたくなる出来事が色々あったにも(かか)らず、クレールはベルフィーユの女友達カトリーヌ[9] を随分とサン=ジョルに招いていた。およそ想像する限り最も可愛らしい美少女で、気品に満ち、活気が(あふ)れ、純真さと希望に富んでいたが、狂熱的な想像力と度を越した独立心が、不安定な要素を招いていた。クレールに心酔し、情熱的にしていた。大親友が何かの仕草をしたり物思いに(ふけ)っていたりすると、カトリーヌの何時もにこやかな瞳は、教会の儀式に参列しているかの様に厳かなものになった。


 人生のスタートにおいて称賛の的になる事程に有益なものは無い。クレールはその事でカトリーヌを大切にした。


「私がカトリーヌに見出したのと同じ信頼を、他の誰かに見出すには何年も掛かる事でしょう」


「それで勿論だけど」と、私はかなり心配になって言った。「彼女の信頼は、お前が良妻となる為の能力とは殆ど無関係なものじゃないかい」


「勿論よ。言うまでもなく、彼女の願望は私に別な未来を用意してくれているわ。私には未だ計画の状態でしかないものが、彼女の視点では既成事実になっているの。彼女が私に与えてくれた運命と私の間には、何の障害物もありません」


「気を付けろよ……、少女の熱狂に惑わされない様にしなくては」


 クレールがカトリーヌを大切にするのは、彼女が美しくて、完璧な存在を求めるクレールの欲求を満たしてくれるからでもあった。彼女の頭髪を結ってやり、極く素朴なひだ(プリーツ)の付いた絹地の服を着せてやった。


人に好かれる様になさい」と、妹は彼女に言った。「魅力的になる為に、何時も最善を尽くすのよ。美しくある事、それがあなたの義務であり権利なの」


[1]  フィリップの火遊びの相手、アリス・ブリュンが該当する。

[2] introit ラテン語)ミサの始まりで、司祭が祭壇に上がる時に歌われる賛美歌等。

[3] Ite missa est ラテン語)ミサの終わりを告げる典礼文で「行け、汝らは去らしめられる」の意。

[4]  教会入り口付近にある。

[5]  長編『或る女』(第8章)でも、ヒロインのリュシー・シャルマン(旧姓ラムル)が公衆浴場で、初めて会った男と浮気めいたやりとりをする場面がある。この当時、モーリス・ルブランの出身地ルーアンでは、一般家庭には浴室設備が無く、公衆浴場に通っていたらしい。

[6]  「石の様に不幸だ(「とても不幸だ」の意)」と云う慣用句があり、それをもじったもの。

[7]  第5章で「あなたは簡単に幸せになってしまうわ。最初の内は、自分の喜びを追い求める余り、せいぜい他人を引っ掻き回す程度だから、大きな力になるけれど、やがて若者の血気や利己心が収まると、自分にあるものでひどくあっさりと満足する様になるわ」と言われた事等が相当すると思われる。

[8]  クレールの初恋と失恋。

[9]  ジョルジェットの親友イザベルに相当するのだろうか。ジョルジェット・ルブランの『回想録』に拠れば、彼女は自殺で人生を終えたので、その点はカトリーヌの場合とは異なるが。何れにしても、この辺りにはジョルジェットの両性愛的傾向が反映されている様に思われる。