早稲田の学生だった森本さん、ニッポン放送でバイトしていてタイガースの番組もあり、これが最初の出会いだそうです。
ナペプロのアルバイト初仕事はシローの企画記者会見で、羽田空港にシローを迎えに行ったそうです。
1970年くらいにナペプロに入社しザ・ピーナッツのマネージャーになる。その一年後ジュリーのマネージャーになる。
「君をのせて」
PYGでそういうロックじゃないだろうと、ポップな曲を社長が選んだんじゃないでしょうか。PYGは時代が早かった。、スターばかり集めてもどうなるものでもない。(「君をのせて」はオリコン23位でした)タイガースを超えたいという気持ち、20位あたりではいけないということで加瀬さんがプロデュースすることになりました。
ーこの頃の沢田さんはエキセントリックなところがあったそうですが?
ステージで光が漏れたりフラッシュが焚かれたりすると怒って帰っちゃったり。ワガママというのではなく完璧主義なところですね。お金をもらってるというのではなくファンと人たちと対等でありたいと。
そしてドラマに主演するんですが久世さんがジュリー大好きでね。ジュリーはタイアップ大嫌いだったので、今までそういうのなかった。ドラマに主題歌が欲しいということで作詞家阿久さんと大野さんのコンビが誕生するわけです。
「危険なふたり」
「時の過ぎゆくままに」
ー沢田さんは5年ごとに変わっていく感じがあって、二十歳前後の青年っぽい魅力、その後の結婚してからの〜、この頃二回続けて暴行事件がありました。
一回目はファンに対して暴言を吐いた駅員にね、二回目は僕も新幹線乗ってて、知らない人が「イモジュリー」って言ってね、何言ってんだ、間違ったことはただしていかないとと思って、そういうところは嫌いじゃない。当時スポニチに連載していた「ザ・スター」の時、謹慎中に作曲してね、さみしい曲が多かった。
「勝手にしやがれ」
ーレコード大賞の視聴率が50.8%
「圧倒的にアーティストからの評判が良かった曲ですね。テレビ局の人も面白がってくれて、色々考えてくれた。帽子を投げるたびに僕がテレホンカード持って「返してください」「えっ?もらえるんじゃないですか?」って、回収に行くの。
レコ大もらって紅白に行く車の中で「おめでとうございます」って言ったら「ばかやろー、これから何するかが大変だ、次の年はみんなダメになる、次に何やるか考えろ」普通おめでとうって言ったらありがとうって言ってくれるもんじゃないですか。次の年は365日1日も休まず働きました。歌がない番組でも、歌のコーナーを作って「ぴったしカンカン」でも歌を歌った。