トッポのインタビューの続きです。


「ーーーメンバーたちに迷惑をかけたことについて反省しなかったんですか?

かつみ 反省していました。でも、翌日連中と顔を合わせると、思ったことが言えなくて・・・。”お前は、もうクビや”って言われると、なんとなく反抗的に”クビにしてほしいワ”っていってました。今思うと、結局ぼくはメンバーに、ずいぶん甘えていたことになります。


ーーー独立した生活が始まった。その頃川添夫妻を知ってどんな影響を受けましたか?

かつみ 言葉では言い表せないほど、大きいものでした。川添(浩史)さんは、ぼくのことを息子のように・・・いや自分の息子以上にかわいがってくれました。川添さんの教えてくれた言葉で忘れられないことばがあります。それは“人間は絶対に後退しない。つねに前進している。たとえ、自分が止まっていると思っていても、それは前進していることなのだ”ということでした。でも、彼は口で言うよりも、行動力、つまりアクションでぼくに教えてくれたことが多かった。


ーーー彼から得たことを、あなたは実行し、それに応えたと思っていますか?

かつみ  何も応えていません。これからの自分の人生の中で、いつかきっと応えようと思っていますが・・・・。


ーーー川添梶子さんから受けたものは?

かつみ ・・・・。あらゆる意味で愛を教えてくれた人です。人間としての愛が、いかに偉大であり、大切であるということを。だから、タンタン(梶子さんのこと)は、僕にとって母親でもあり、恋人でもあり、あの時は全然知らないカッコいい女でした。本当に素晴らしい女(ひと)です。お互いに悩んだり、苦しんだりしたことはありますが、それはすべて愛から出発したものでした。


ーーーピーについて、今、どう思っていますか?

かつみ 好きです。嫌いになれない男です。彼はぼくらよりも純粋で、幼い青年だと思います。ある時点で、ぼくをすごく意識した時がありましたけれど。でも彼の性格では、それはできませんでした。つい最近、あるところで音楽をやっている仲間の一人が、ピーのことをバカにした奴がいました。”いまさら大学へ行って・・・・”なんてしゃべっていたのを聞いて、ぼくはすごく頭へきました。彼のことを知らない人間が、そういうことを言うのはやっぱり許せません。ぼくたちの仲間でいうぶんにはいいと思います。わかるでしょう?どんなことがあっても、昔の仲間を他人からとやかく言われるのは、我慢できませんーーーー。」



タイガースの仲間と一緒にいないで毎日キャンティで食事をしているとか、二十歳そこそこのの若者の家に豪華な家具がそろっていたりする写真が当時の雑誌に紹介されたりしておりました。今思えば本物を見、そういう生活をしなくては芸術はできないと思っていたのかな。

1970年、川添浩史さんが急逝し、その4年後梶子さんも後を追うように亡くなります。