しばらくの間は、これまで編集後記を書くといいながら書くことのできなかったネタを
「拾って」ゆく記事をメインに書いていきたいと思います。
その一つ目は、原二ボアアップシリーズのことから!

まずはじめに、わたしが何故、
CBF125をボアアップすることで高速道路を走らせようと思ったのかを改めて書いてみます。
これは、本編中のPart3を中心に語ったところですね。
(映像内4分10秒より)
そもそもなぜ私が、こんな事を始めようかと思ったのかといえば-
それは私にとってCBF125が、本当に大切な相棒だからです。
(中略)
僕はすっかり、CBF125の虜だった!
走行距離はもうすぐ3万キロ。(…2013年1月時…)
いろんな道を走ったけれど、まだまだ走ってない道、
これからも走りたい道はたくさんある!
そしてそれは、ほかのバイクじゃ意味がない。
3万キロ近くを共にしてきた、掛け替えのない相棒の、
このCBF125で走りたいんだ!
ただ単純に高速道路を走りたいだけなら、バイクを乗り換えればいいのです。
もっともっとスピードを出したいだけなら、バイクを乗り換えればいいのです。
でも、そういうのって違いますよね。
自分は本当に自分のバイクが好きだから、
いまの自分のバイクでやりたいことを達成するために策を尽くしたのです。
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やりたいことがあった・・・

具体的には?
春には就職での引越しが決まっていたので、
①埼玉と栃木の頻繁な往復が予想されたこと(下道使うにしたってボアアップする理由に充分)
②その当時すでにCBF125ミーティングを行う考えを持っていたこと。
主な理由はこの二つでしょうか・・・
あっ!もちろん、ただ単純に高速乗ってみたかっただけ、というのもありますよ。笑
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理由として思い浮かびあがったのは、①のほうが先だった。
もっとも、当時を思い出して術壊するけれど、
はじめは就職での引越しなんて考えていなかったはずだ-

2012年5月に内定が決まり、その採用試験のさいに伺ったところから、
僕は埼玉県内での勤務になるのであろうと思っていたし、
まわりの声や噂からもそう思っていた。
それが変わってきたのが10月ごろ、
ちらほらと内定者への資料が送られ始めてきたころだった。
栃木か・・・遠いなぁ、なんて。
でも、その当時のCBF125で行けないことはないと思っていたし、
そもそもボアアップキットがあること自体をまだ知らなかった。
そうだ。ボアアップキットの存在を知らなかったのである!
たしか、11月にはならない頃だったとは思うが、、、
とある画像検索で、中国のサイトがヒットし、
その時を境に僕とCBF125を巡るすべてが変わったのだ!!
なんだこのサイトは!!…CBF125だって、こんなにカスタムパーツ出てたんじゃん!!
…というのは、この動画とはあまり関係がないので、また別のお話。…
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お話の導入としては以上でしょうか。
もし次を書くとしたら、ボアアップ作業中のこぼれ話なんかを書いてゆきます。