2026年9月19日 竹橋駅近くの丸紅ギャラリーまで、「美しきシモネッタ」の展示を見に行ってきました。
日本で唯一のボッティチェリの作品ということで、厳重に保管されています。
下は開封の様子です。
展示について(オフィシャルSNSより)
「台形の展示スペースは、シモネッタとジュリアーノが対面した騎馬槍試合の舞台でもあるサンタ・クローチェ広場をヒントにしています。」
シモネッタ・ヴェスプッチについて
1453年、ジェノバ近郊でGaspare Cattaneo della Volta とCaterina Violante "Cattocchia" Spinolaとの間に生まれたそうです。父が早く亡くなり、豪商だった義理の父のもとで成長したとのこと。総督だった父のコインなども展示されています。
1468年 ピエロ・ヴェスプッチはかなり強引に彼女の美貌と財産を目当てに息子のマルコと結婚させたとのこと。ヴェスプッチという姓から想像ができますが、西洋人でアメリカ大陸に初めて行ったアメリゴ・ヴェスプッチの遠い親戚になるそうです。
1475年4月にフィレンチェのサンタ・クローチェ広場で行われたジオストラ(騎芸協議会)で、当時の有力者ロレンツォの息子 ジュリアーノ・デ・メディチは騎士がその名誉のために戦う、イナモラータ(「愛人」)にシモネッタを選び、ボッティチェッリが彼女をモデルに描いた女神の旗印を掲げて入場したとか。ジュリアーノも展示されていましたが、当時としては美男子中の美男子。美女と美男子の取り合わせは、当時のフィレンツェの人々を熱狂させたのでは![]()
旗印をボッティチェッリに描かせるよう助言したのは、彼女の夫のマルコ・ヴェスプッチで、ヴェスプッチ家を通してボッティチェッリに見いだされたのだとか。彼の代表作「春」や「ヴィーナスの誕生」のモデルはすべてシモネッタという説も!!
この展覧会では、「美しきシモネッタ」の絵を基軸に、当時の彼女の崇拝者であったサンドロ・ボッティチェリ、辻邦生の作品にも触れています。
この絵のたどった運命
ボッティチェリはその後、僧サヴォナローラに傾倒していきます。1490年代に入り、預言者サヴォナローラがフィレンツェに蔓延していた古代の異教的文化および享楽的生活を否定し、キリスト教の信仰に立ち返るように訴えた。ボッティチェッリはサヴォナローラから深い宗教的影響を受け、甘美な聖母子像や神話的作品は描かなくなったのだそう。
代わりに、『キリストの哀悼』、『オリーブ園の祈り』、『神秘の降誕』などキリストの受難や救済をテーマとする謹厳かつ敬虔な作品が描かれたが、主題のみならず様式的にも中世ゴシック絵画の伝統に回帰するかのようにそれまでの合理的な遠近法は往々にして破棄されている。
以降300年、全く知られていませんでした。で、日の目をみたのは19世紀初頭。画家兼画廊 ジャン・パティスト・ピエール・ルブラン。そうなんです、あのマリー・アントワネットお抱えだった画家で有名なルブラン婦人の旦那様。
イタリアのボローニャで1808年に再発見されてから、フランス、イギリス、ドイツ、再びイギリスを経て、1969年に丸紅が輸入して日本へ来たそうです。
参考
Jean-Baptiste-Pierre Lebrun - Wikipedia
※余談ですが、新しいルーヴル美術館の核となるコレクションを整えたのはルブラン夫人の旦那様でした
。
※財産を守るため、フランス革命時、1794年に妻の逃亡を理由に離婚。
関連リンク
2026年公開について
2025年公開について
関連書籍
この展覧会を見て、ロレンツォとジュリアーノのことを知りたくて、読みました。
最近かわいいと思った瞬間は?
→萩尾望都先生の初めての同人誌「ドキドキ子猫」の表紙を見たとき!!
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