晴れていれば、遠出をしたくなりますが、雨だと最初からあきらめて映画の予定を入れられます。今年2回目の雨の日 1月15日、先週から公開されている「カンフースタントマン」を見に行ってきました。香港映画のファンは映画の裏側を知るという意味で、おすすめする映画です。
映画概要
(抜粋)
監督は『奇門遁甲』(未・17)、『ザ・ルーキーズ』(19)のプロデュースで知られるウェイ・ジュンツー。著名な映画評論家でもある彼は、3年の撮影期間をかけて、100人近くの香港アクション関係者を徹底取材。
そんな彼の熱意に応えてサモ・ハン、ドニー・イェン、ブルース・リャンといったアクションスターや、ユエン・ウーピン、スタンリー・トン、チン・シウトン、トン・ワイ、チン・カーロッ といった俳優・映画監督、ジャッキー・チェンのスタント・チーム成家班の元メンバーで、『ドラゴンロード』(81)など数々のジャッキー映画に出演したマース、『ヤングマスター』(80)の役人など、個性的な顔立ちが数々の香港映画ファンで活躍したスタントマン兼俳優のユエ・タウワン、 最近では『シャン・チー/テン・リングスの伝説』(21)の出演が印象に残るユン・ワー、そしてツイ・ハーク、アンドリュー・ラウ、エリック・ツァン、ウー・スーユエン といった大物映画人たちが出演。さらに香港スタントマン協会が全面協力した事により、彼らの証言と『大福星』(85)、『ファースト・ミッション』(85)、『おじいちゃんはデブゴン』(16)、『ファイヤー・ストーム』(13)のメイキングなど膨大なアーカイブ映像で贈る、香港アクション映画の歴史を網羅した怒涛の作品が誕生した!
(抜粋ここまで)
出典:オフィシャルサイト
映画を見て
「猫は9つの魂をもっている」というけれど、カンフースタントマンは20個の魂を持っている気が。もしも私だったら、この映画だけで20回くらい死んでます。
マトリックスでワイヤースタントを見て、「香港アクションはワイヤーに助けられいたんだ」と思っていたんですが、1970年代~1980年代に制作されたものは、命綱もなかったらしく、ただただ、絶句…
アクションの素養はどこで養われたか。
1930年代、中国の京劇役者の多くが、日本の本土侵略から逃れるために香港に移住した。彼らは、貧しい家庭の子供たちに京劇を教えるようになり、1960年代には香港に4校の京劇学校ができたそうです。弟子たちが卒業する頃には、京劇はすたれ、彼らは活躍の場を映画のスタントに移した。当時の香港映画界は東洋一の巨大スタジオを持つショウ・ブラザーズが席捲。この頃のカンフー・シーンは、京劇の流れを汲んだ、舞踏のような戦い方が主流だったそうです。武術と演技の基礎(例えば逆立ち1時間など)が叩きこまれた彼らは、多様なアクションを演じる事ができたそうです。
その流れを変えたのが、故ブルース・リー。映画会社ゴールデン・ハーベストが製作したブルース・リー主演作『ドラゴン危機一発』が驚異的なヒットを記録。ブルース・リーによるファイトシーンは、それまでの舞踊的なカンフー映画とは違って、実戦的なものでした。
そのカルチャーを引き継いだのはサモン・ハンチーム。どんなアクションでも断らないということを矜持とするものだから、8階から命綱なしで飛び降りるというアクション、ガラスのテーブルの上に背中から倒れこむ、見ていて眼を覆いたくなるシーンの連続でした。
現在はゴールデン・ハーベストは撮影場を閉鎖しその跡地には高層マンションが建ち、ショウ・ブラザーズのビルは廃墟となりました。往年のような熱はないものの、中国(香港の人は「本土」という)で制作される映画に参加している模様です。
「折れていない骨はない」
「職業をスタントマンと書くと、保険に入れない」
と誇らしげに無邪気に語る彼ら。
スタントマンの矜持を守り続けている彼らを尊敬するのと同時に、「学校に通っていない。小学校卒だ」とする彼らを守ってこない社会保障制度にもだった90分でした。
■参考作品