東日本大震災があった年の1月5日の日記にこんなことが書いてありました。
「Unluckyの素は自分にあると思う。
なぜ忘れていたのか
なぜ気づかなかったか
なぜ見落としたのか
なぜ見て見ぬふりしたのか
ささいなことが大きくなっていく。」
同じようなことが月刊Flowers 2021年8月号「ミステリと言う勿れ」にあって、グサグサささりまくり。
出展:月刊Flowers 2021年8月号
一番、後悔するのは、これ…。
「なぜ見て見ぬふりしたのか」
遅かれ早かれ、自分が背負う仕事/十字架になっていくことは間違いないにのもかかわらずです…。
個人的には8割はこれが原因↓
出展:「ミステリと言う勿れ」9巻
力がある人が「楽観バイアス」にとらわれていたら、そこを指摘するのは難しいですよね。上の人が「重箱のすみつつき、大歓迎」モードであればいいやすいんですけど。
「コロナ」で見えた「見えていない」人
ところで、今回、新型コロナ感染症の人数のピークが1000名超えたそうです。
出展:デジタル朝日7月14日
私は数学が苦手だけど、感染者という母数が増えているんだから、来週に2000名超えても、当然の帰結。
そして、マスコミは市中の人出だけを注目するけど、
今、人生は二択。
・市中に出てコロナにかかる
・仕事に出ないで失職する
「どっち選ぶか」って言われたら、コロナにかかっても軽症で済む可能性がある「市中に出てコロナにかかる」方をチョイスする人が多いのではないでしょうか。
「所詮無理なことを無理強いする」メディアやSNSのつぶやきをみると、「見えていない事の可能性を考えたことあるのかな」「10年後に自分の記事やつぶやきを正視できるのかな」とつくづく思います。
また、対応が「遅すぎ」「早すぎ」と表面のことばかり批判する人が多いけれど、批判すべきは、この有時に日本の民主主義という節目節目で議会で承認をとらないといけないプロセス。またそのスピード感をそいでいる「早すぎ」「遅すぎ」しか言わない野党。
「早すぎ」「遅すぎ」は決して提案ではないのに、畏まって言う人が多いのは、違和感が…(汗。
最近「見えてなかった」こと
■新港中央広場のヒマワリ
背後にクイーンの塔(横浜税関)
でも、よくみたら、クレーンの柱が。
ということで、もうすぐ新港中央広場からクイーンの塔(横浜税関)は見えなくなります。また、プロムナードから観覧車も見えなくなりそうです。(残念)。
せめて天気の良い日に美しい景色をとどめておこうと思います。
市長さんのチョイス、誤った感が…。
最後に
いまいちど、考えてみたいと思います。
「Unluckyの素は自分にあると思う。
なぜ忘れていたのか
なぜ気づかなかったか
なぜ見落としたのか
なぜ見て見ぬふりしたのか
ささいなことが大きくなっていく。」