昨年からの新型コロナ感染症のために、昨年はあまり東京の美術展に行けていません。唯一行ったのが、上野の森美術館で開催していたKING&QUEEN展、そして、このベルナール・ビュフェ回顧展でした。
実はBumkamuraのこのLes deux Magotsはパリのすごいカフェだということをこの展覧会で知りました。次は絶対行くので、営業していてください。
オフィシャルサイト
たまたまチケット屋さんで2枚600円で買った株主優待券の締め切りが2020年11月30日だったので、ウィークデーに休みをもらっていってきた展覧会でした。
「どこかでこの線を見たことがある」
と思ったら、新潮文庫から出ているサガンの小説の表紙を手掛けておられました。
1950年から1989年まで続いた冷戦時代、当時の人々の不安と虚無感を、自らも実感し代弁する若き天才画家の作品は悲惨主義(ミゼラビリスム)と呼ばれ一世を風靡したそうです。多感な私たち先輩の間でブームとになったサルトルの実存主義やカミュの不条理の思想と呼応していたのでしょうか。ただ、以下の評についてはよくわかりません。
「いつの時も敏感に感じとり、一方で純粋な志を持ちつづけ、抽象画全盛期のなかで具象絵画の道を貫いた」
ゴッホとは違って、ベルナール・ビュフェは早世の画家だったようです。
「絵が好きだったビュフェは、ナチス・ドイツの占領下のパリ市の夜間講座に通い、15歳という若さで国立美術学校の入学試験に合格すると、すぐに頭角を現しました。この頃は写実的作風で、またスーチンの激しい描写に強く惹かれ、キュビスムの影響も受けています。しかし17歳で母を脳腫瘍で失い、学校は退学し、貧しい生活を送りながら独り画家の道を歩みだしました。そして1946年初めて公募展に出品し、さらに19歳で初個展を開催、うち1点が国家買い上げとなりました。」
ベルナール・ビュフェ《キリストの十字架降下》1948年
そして、その10年後、寵児となった彼は交友関係も広かったようです。なんと、イブ・サンローランとも交流があったそうで、彼はサンローランの生涯のパートナーだったそうです。
ピエール・ベルジェという女性が、もともとビュフェの恋人であり、マネジャーだったそうですが、彼女がサンローランと結婚…。でも、その後、生涯をとおして愛した妻アナベルと出会い、結婚しました。
映画「イヴ・サンローラン」の中で、ビュフェがサンローランの肖像画を描くシーンがあるそうです。
映画を見たけれど、このときはベルナール・ビュフェのことを知らなかったので、いまいちわかっていなかったように思います。また再映されたら見に行きたいです。
知識だけでは、理解できないものがあります…。
下の絵の左はカルメンの装いのアナベルで、右はピエロの仮装をしたビュフェの自画像だそうです。
11月27日に行ったときはほとんど誰もいなかったので、大きな絵を独り占めして楽しむことができました。
以下のリンクで展覧会の様子がレポートされていますので、参考になります。
※2021/1/24追記
ジャン・コクトー「人間の声」をもとにフランシス・プーランクがソプラノ一人のオペラ「人間の声」を作曲。時代は1960年代。
こっちの沼も眩暈がするほど深い…。
(浅い沼はありませんけど)
また、機会があったとき見てみようと思います。