長谷寺の後、向かったのは鎌倉江ノ島七福神 で 福禄寿を祀っている御霊神社です。2018年11月に来たときは閑散とした感じ。
ですが、今回は紫陽花が鮮やかに鳥居を彩っています。
本堂
今日、お賽銭箱に矢が彫り込まれているのに気づきました。
この矢の由来を調べてみました。
御霊神社(神奈川県神社庁)
(抜粋)
平安時代後期の創建。祭神景政公は、桓武天皇の(五十代)末裔、平氏一門で鎮守府将軍平良文が祖父。父は鎌倉権守景成。当時関東には大庭・梶原・長尾・村岡・鎌倉の所謂関東平氏五家が割拠しており、景政公はこれらの平氏五家と共に、鎌倉武士団を率い、現在の湘南地域一帯を開拓した開発領主。
(抜粋ここまで)
16歳の時、源義家の陣営に連なって後三年の役(1083年-1087年)に従軍して活躍した際のエピソードがよく知られているそうです。
(抜粋)
『奥州後三年記』の伝えるところによれば、景政は左目を敵に射られながらも屈することなく、射手を倒し帰還した。左目に突き刺さった矢を抜こうと、一人の武士が景政の顔に足をかけたところ、景政はその非礼を叱責したと言う。かかる伝承から、志の成就(学業成就、必勝招来)の神徳があるとされる。また、林羅山の考定によれば眼病平癒にも効験があるとされる(『本朝神社考』)。
(抜粋ここまで)
なお、不思議なことが起こったことが伝説になっているようです。
(上記の神奈川県神社庁サイトから抜粋)
鎌倉時代「吾妻鏡」の中に、文治元年(平家滅亡の年)八月二十七日、御霊社の社殿が鳴動して地震の如くすさまじく、幕府から使者が参向し御願書を奉納して賜物を下し神楽を奏したと書かれており、又その他にも五霊社の記事が多々あるのをみても御霊社はさまざまな奇端の現われる神社として幕府の崇敬の度が厚く、諸行事がこのお宮を中心に行なわれたことがうかがわれる。
江戸時代には眼病平癒、除災招福の神社とされ、現代にあっても景政公の旺盛な精神力は初志の貫徹を祈る人々への厳しい励ましとなっている。
■景政公が弓をたてかけた木
また神代七代と言われる天地改革のときの神の第六代を祀っているそうです。
■境内近くの紫陽花小路
いよいよ雨粒が大きくなってきました。
この紫陽花は明月院でも長谷寺でも見たことがありません。
■その紫陽花小路の横を江ノ電が走ります。
そして、令和二年二月二日から始めた鎌倉江ノ島七福神、本日満願。
【北鎌倉(JR)】
2020年2月22日:浄智寺(布袋和尚)
【鎌倉(JR)】
2020年2月20日:本覚寺(夷様)
2020年2月20日:妙隆寺(寿老人)
2020年2月20日:宝戒寺(毘沙門天)
2020年2月02日:旗上弁財天(弁財天)
※鶴岡八幡宮 源平池
【長谷(江ノ電)】
2020年6月11日:長谷寺(大黒天)
2020年6月11日:御霊神社(福禄寿)
【江ノ島(江ノ電ほか)】
2020年3月21日:江島神社辺津宮(弁財天)
横浜市から出たのは2カ月半ぶりです。6月19日をすぎると、県境をまたぐのも解除になるので、きっと人が多くなるでしょうね。実は今日、神社に行く道すがら、やばい咳をしながら歩いている人が…。帰宅してすぐ入浴して、着たものをすべて洗濯しました。
まだまだ予断も油断も…。
ではでは。