マリー・アントワネットのお話については、今もいろいろな逸話が残っています。
■マリー・アントワネットが輿入れのときにマリア・テレジアから贈られた懐中時計。王妃になったときにマリー・テレーズに譲ったものだそうです。
(出典:マリーアントワネット物語展 図録)
輿入れのときはきっと馬車の中で、この時計をためすがめつ見ていたんではないでしょうか。輿入れのときの鼓動が聞こえてきそうです。
そして、時計といえば、時計技師ブレゲのエピソード。これはベルサイユのばらエピソード編でも紹介されていました。
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■ソース
2008-04-19 15:26
(以下 記事の抜粋)
スイスのヌーシャテル州の時計職人、アブラアム・ルイ・ブレゲは、1775年、パリにアトリエを開いた。ブレゲはその後、ナポレオンなど歴史的人物にも時計を製作する、有名時計ブランドに成長した。
1783年、ブレゲは、今では名も明らかでない、マリー・アントワネットを尊敬する1人の将校から、懐中時計を王妃のプレゼントにと、ミステリアスな注文を受けた。「値段も期限も考慮せず、最高の技術を投入すること」というのが、その注文の趣旨だった。ブレゲとその継承者は、その後44年の歳月をかけ、結局1827年に完成。1789年に処刑された王妃がそれを使うことはなかった。
その後、この時計はイスラエルの美術館に保管されだが、1983年に同館から盗まれ行方が分からなくなっていた。一方、ブレゲ社は3年前にハイエック氏と共に、コード番号「No.160」というこの時計のレプリカ製作を決定した。しかし、その作業は困難を極め、パリにあるブレゲ博物館資料庫での精密な調査からスタートしたという。
■画像
ブレゲ社は3年前、マリー・アントワネットの時計と同時代の懐中時計「no5」のレプリカ製作に成功し、それが「no160」を造ろうという原動力になったという
(記事抜粋ここまで)
今では本物も2008年に見つかり、イスラエル美術館が買い戻したそうですが、展示されていないそうです。また、レプリカも見ることができないそうです。
依頼した謎の将校は、やっぱりフェルゼン伯爵だったのでしょうか。永遠のときを時計にこめたかったのかな…と思います。フェルゼン伯爵も1810年に逝去されているので…。
これはフェルゼン伯爵が使っていた、MAならぬAMAの紋章。
Axcel ama Marie-Antoinette
(アクセルはマリー・アントワネットを愛する)