【祈り…】露航空最大手アエロフロートの旅客機「スホイ・スーパージェット100」墜落 | いろいろといろ

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5月5日の夕方、哀しいニュースが飛び込んできました。いまや飛行機は私の「足」。他人事ではありません。また、被害に遭われた方々の早い復帰と亡くなった方々へのご冥福をお祈りいたします。

 

下の写真は1999年ロシアに行ったときの写真です。

ご冥福をお祈りして…。

 

「落雷で通信障害」燃料満載で緊急着陸し炎上

 

(抜粋ここから)

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ロシアの首都モスクワの空の玄関口、シェレメチェボ空港で5日夕(日本時間6日未明)、離陸後に引き返した露航空最大手アエロフロートの旅客機「スホイ・スーパージェット100」(乗客73人、乗員5人)が緊急着陸し、炎上した。重大犯罪や事故を担当する露連邦捜査委員会によると、乗員1人を含む41人が死亡した。

 

(略)

 

 タス通信は関係者の話として、離陸後、機体に雷が落ち、通信機器や電気系統に障害が起きたとの見方を伝えた。パイロットも露メディアに「落雷で通信障害が起き、地上の管制官との交信ができなくなり、手動操縦で緊急着陸した」と証言した。


 燃料がほぼ満載の状態で着陸したため火災の拡大を招いたとの指摘もあり、連邦捜査委員会は事故原因を調べている。

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(抜粋ここまで)

 

 


 

 

「燃料が満載の状態」でということで思い出したことがあります。アメリカに行ったときのこと。私、いろんなところに駄文を書き散らしているんですが、こちらにも置いておきます。ちなみにこのハンドルは1995年8月1日~なんで、VIXXのひょっくんとハンドルは同い年です。

 

 

 

 

Date:20-Jul-2001
Author:リトル★ダック
 

決意したのが7月3日。 お休み(1日だけど)宣言をしてチケットの予約をしたのが7月10日。
こうして誰にも気づかれずに太平洋48時間とんぼ返りは実現したのでありました。


さて、Dogstarのボードには友人からメールがきて「私達は12時に行って待っているから」とのこと。私はHouse of Bluesの側にあるホテルに予約をしましたが、シカゴのときには4万円と言われたホテル料金はインターネットから予約をするとなんと税込みでツインで2万円ほど。行きがけの チケットとHouse of Bluesのチケットの引き換えのメールのコピーを手にLAに向かいました(^^)


さて当日2時前に関西国際空港につきNorth Westのチケットをとるとなんと最後の窓際1席ですと 言われ、なんとなく嫌な予感が。。。(^^;。でも気をとりなおし、ちっと食べておこうということで昼間から女性一人でたこ焼き&イカ焼きセット(ビール)を注文し、「4時に離陸したら寝るぞ」態勢でいたわけです。


At 16:00 on 14th JST (0:00 PDT):


さて搭乗後4時10分ほどで離陸。「おおお時間どおりに離陸している」とばかり3時くらいに飲んだビールがよく聞いて10分ほど寝てしまいました。ところが「何か雰囲気がおかしい」と思い 窓の外を見ると「家々がまだ見える」。すると隣の女性が、彼女も一人旅だったんですが、「機体がおかしいということで機体をチェックするために成田に着陸するようですよ」と言う。


At 17:00 on 14th JST(1:00 PDT)
またパーサーからのアナウンスがあり、(ただし、英語初心者にはとても聞こえないほど早口で) 「機体から燃料を放出します。これは異常ではありません。窓際の人はその様子を見ることができます」ということを言われ、そんなもんかいなと思いつつ、おろしていたブラインドを上げて外を見ていると翼の突起部からまるで「ダイハード2」のラストシーンのように燃料が放出されました。 すごい勢いで旋回しながら、太平洋上に燃料を撒き散らしていました。環境の問題も考えましたが、この機体が爆発したときのダメージよりははるかに被害は少ないだろうということで自分を納得させ、「海のお魚さん、いかさん、たこさん、そしてもしかしがら回り回ってこのオイル撒き散らしに関係した魚か海苔を食べることになるだろうな」と思いつつ、謝り、祈り続けておりました。  ただ不謹慎ながらも夕焼けの中で旋回しながら放出される透明な液体は海の色と黄昏の光線を反射してすばらしく美しいものでした。


At 17:40 on 14th JST (1:40 PDT)
成田には5時40分に到着し、アナウンスでは6時40分に出発するとのことでした。 そして結局出発したのは確か7時半くらいだったと思います。ロスには3時間遅れでつくとのことでした。そして隣の女性はビジネスに乗っている別の方と同行していたのですが、聞いてきた話によるとなんでも発信のときにエンジンを支えている部品が2つ飛んでしまったのだそうです。 そのためにエンジンが非常に不安定になり、機長はそのエンジン2つを止めて残り2つのエンジンで成田に行こうとしていたとのことです。ところが十分な高度がなかったので、途中で燃料を排出 したとのこと。

 

一歩間違えれば海の藻屑と化していたんですね~(^^;。

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20年前の私、のんきにこんなことを書いていますが、自分もあの事故機の炎の中にいてもおかしくはなかったと…。

 

また、逃げ切れなかった原因としては、前方の方々が荷物を取り出すに時間がかかって後方の方が逃げることができなかったという見方もあります。

 

非常事態のとき、自分はどう動かないといけないのか、しみじみ考えます。