昨年末から読んでいた「マリー・アントワネットの暗号」。やっと昨日、読み終わりました。1789年7月14日のバスティーユ陥落から1793年10月30日に断頭台の露と消えるまで、日々一刻を争う中、やりとりされた暗号の現存している手紙のやりとり。この書籍は、主に現存する1791年~1792年までの書簡と、失われた書簡の概略で構成されています。
![]() | マリー・アントワネットの暗号: 解読されたフェルセン伯爵との往復書簡 4,266円 Amazon |
第1章 書簡分析
第2章 失われた書簡
第3章 書簡
第4章 判読部分の写真
まずは、既存のフェルゼンと王妃の偶像はとっぱらって、本にとりくみました。
■"Revolution in Fashion 1715-1815"1989,Kyoto
この書簡に出てくる印象的だった人々がいます。まず、アントワネットとフェルゼンの秘密裡の暗号文の作成に携わった技術部士官 フランソワ・ゴグラ。彼は王妃に誠実につかえ、ヴァレンヌ逃亡事件で投獄されて、恩赦で釈放されたのにも関わらず、パリに戻って王妃に仕え、フェルゼンとの通信に大きな役割を果たしていたそうで。ちょっとやんちゃでオルレアン公爵に決闘を申し込んだこともあり、ルイ16世は手を焼いたそうですが、アントワネットは彼の誠実さを見抜いて重用したようです。
そして、スェーデン国王、グスタフ3世。フェルゼンとは「友人」と呼び合う仲。フランス王家の脱出に協力的だったんですが、1792年3月29日に過激派のスェーデン貴族によって暗殺。なんとジャコバン派は彼を排除しようと過激派と結託したとかしないとか…。フェルゼンの手紙から見える騎士のようなグスタフ3世の言動に感動しました。(wikipediaでの紹介)
ヴァレンヌ逃亡事件以降、王家一家を脱出させるべく、1792年2月フェルゼンは国王と王妃を説得にパリに赴くのです、懸賞金がかかっているのにも関わらず。ところが、国王は逃亡はできないと断り、「王妃はおそらく王妃としての義務からアントワネットは国王を選んだと思われる」…とは、フェルゼンとアントワネットの書簡のやりとりに大きな役割を果たしていたクローフォード伯爵。
以降の手紙ではフェルゼンの手紙には心の距離が。著者曰く「フェルゼンの心はかき乱されていた。長い間愛し続けていた女性はライバルとしてみなしてもいなかったルイ16世を選んだのだ」。
「ベルサイユのばら」ほか、多くの著作では6月20日のヴァレンヌ逃亡事件の日を運命の日としていたようですが、本当の運命の日は1792年2月の邂逅のときだったのではないかと。
ふと、ここで心に浮かんだのはVIXXのKerシリーズのDynamaite。
(略)
(歌詞はこちらからお借りしました)
そして、運命の分かれ目は1792年9月20日ヴァルミーの戦い。オーストリア、プロイセン連合軍がもたついている間にフランスは態勢を整え、この戦いに「勝利」。以降、9月22日にフランスは共和国となり、王家は坂道を転がるように…。そして、1993年10月30日の運命の日以降の彼の日記
この憔悴はまるでFantasy…。
僕を満たした中毒は
僕の心を突き刺して
僕を伝って濃く流れ
燃え尽きた黒い僕の天国よ
その悲しみを食べて育った愛よ
僕を窒息するほど一日中彷徨わせる
(歌詞は、こちらからお借りしました。)
時は流れ1795年、アントワネットのことを思い焦がれてやまないフェルゼンがコルフ夫人から受け取ったのはアントワネットからの最後のメッセージ。
「さようなら、私の心はあなたのものです」
1792年2月の永遠の別れ以降、彼女の心を疑ったフェルゼンとは裏腹に、王妃はフェルゼンのことを変わらず思い続けていたのです。
それにしてもVIXXのkerシリーズが出たときに、
「いまどきこんなに執着するまともな男がいるかい」
と思っていましたが、書簡の言葉とVIXXのKerシリーズの詩に触れ、フェルゼンとアントワネットの体温が感じられるような気がします。
最後はThe Closerで思いにふけりたいと思います。
The thing about love
今までなかったものをあげるよ 僕は
風の吹き付ける夜が終わったら
僕と一緒に消えるだけさ
君を僕に委ねて 君を僕に委ねて
(歌詞は こちらからお借りしました)
-------
二人の愛情の件については長い感想になりましたが、
何が人を狂わせるのか。
どうやって正しい判断を導くのか。
そういったこともしみじみ考えさせられました。