【井戸端】1970年代からの音楽の現場 #宮川彬良 | いろいろといろ

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 今、時間のあることをいいことに、昔のスクラップを整理しています。そうしたら、「マツケンサンバ」作曲、今は「宇宙戦艦ヤマト2022」の音楽担当で有名な宮川彬良さんのエッセーがありました。お父様があの「ザ・ピーナッツ」の生みの親、宮川泰さんということもあり、古くからの音楽の現場については、生き字引じゃないかと思います。

 

 最近、こんなことをつぶやいていらっしゃいました。

 

 

 


 

■で、今回発掘したのが以下の記事。

 

出展元:週間朝日2006年8月18日発行

「アキラさんの気まぐれ音楽会」連載11

 

(抜粋)

「気難しいものではなく、ジャズはやっぱり踊りたくなるほど楽しいものがいい。えっ、ピーターソンじゃなく踊れない?よく聴いてみて。音一つひとつの細胞が踊っているじゃありませんか

 

で、ネットで探したら動画がありました。ピアノの音もさることながら、ベースの音とも息ぴったり。さて、この収録ですが、上のツイにもあるように1970年当時でも「15分しか録音できなかった」とありますし、分割録りはなかった時代だと思うので、ほぼ一発録りだったんではないかと思うんですよね。

 

当時のアーティストは完成度が高かったと思います。だから、レコードを買って聞いたし、来日するということが意味があったのが高度経済成長期かなと思います。

 

私が好きなのは、マンハッタン・トランスファー。この人たちの音っていろんなところにフィチャリングされんじゃないかと密かに思っているんですが。テレビでもBGMでよく使われているので、これは聞いたことがある人が多いはず。

 

■Twilight Tone-Twilight Zone

 

なんと、1979年40年前ですよ。当時は今のようなキーボードなんてありません。生です、なまなまなま。ジャズやフュージョンにカテゴライズされているグループですが、マイケル・ジャクソン以前にロックしていたグループなんじゃないかと…。今年の東京ジャズ・フェスティバルに行きたくて、チケットをとっていましたが、退院日の翌々日の渋谷は厳しいと思い、今年はキャンセルしました。来年もまた来てくれることを切に願っています。

 

 

で、劇団四季のオケも担当されていたそうなんですが、時代の流れでこのようなことになりました。以下抜粋です。

 

「数年前に劇団四季の故)浅利代表からは丁寧な書簡をもらいました。経営のこと、オーケストラをテープに切り替える旨、そうすれば入場料をいくらに抑えられる…というような懇切丁寧なお手紙でした(もちろん印刷でしたが)。でもその内容にはガッカリでした。

 

そして録音スタジオのほうは…。コンピュータの台頭で、生音をわざわざスタジオで録る…という事がめっきり減ったのです。あってもダビングです。オーボエ奏者とトロンボーン奏者がひとつのスタジオで顔を合わせるチャンスは十分の一くらいになったのです。
 
そんなこんなでこんなご時世…という訳です。
過去を持ち上げるのが僕の快感…という訳では無いけれど、どこかで何かを伝えていかなければ…と強く思われる毎日です。」
 
(抜粋ここまで)
 
 
2006年当時、すでに「あの頃の僕と同じようにスピードとフレーズしか頭にないように思われる」と書いていらっしゃいますが、10数年後の今はなんとなくの感覚でしか音を聞いていない世代が多くなっちゃったんじゃないかと。かくいう私も気軽に楽しませてもらっていますが('◇')ゞ。
 
 今、K-POP畑におりますが、作り手自身が音を組み合わせるだけで音楽を作れちゃうので、簡単に真似されるし、「はやりだから」といって劣化されたものをさらに真似するから、さらに劣化が進んでいる感じがするんですよね。
 
日本はアーティスト自身がバンドを組んだりしているし、先日も相棒のコンサートがありましたが、BGM自体のコンサートができるという下地がすばらしいと思います。また、日本は音響が素敵なホールが多い!!。
 
VIXXくんたちには、今の「流行」の下にある基盤をしっかり感じて、これからのみんなが求めているもの、聞きたい音楽を考えて、次の活動に活かしてほしいと常に願っております。
 

 

■関連リンク

マンハッタン・トランスファー・オフィシャルサイト

http://manhattantransfer.net/