【ひとりごと】「マタハリ」関係資料と雑感 | いろいろといろ

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 今回のミュージカルを見るにあたり、語学力の不足を補うべく(←なんか方向性を誤ったような気がしなくもありませんが)、いろいろ調べました。

ミュージカルや映画とはまた違った印象を持っているので、メモとして残します。

 

本名:マルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレ(1876年8月7日 - 1917年10月15日)

【オランダ時代(1876-1896年あたり)】

13歳まで裕福な帽子屋の娘として、上級学校に通っていたが、父親が事業に失敗し、離婚、母は病死し、一家離散となる。19歳のときに結婚相手募集の広告を出して、オランダの軍人と結婚し、オランダ領インドネシア ジャワ島にて結婚生活を始める。

 

【インドネシア時代(1896年~1900年ごろ)】

ところが、二人の子供をさずかったものの、二人とも失う。、26歳のマルガレータはパリに移住。

 

【パリ~ヨーロッパ1900年ごろ~1917年】

ところが、職業のトレーニングを受けていないため、生活のため、「インドネシアの王女」といった触れ込みで友達の家で、インドネシア滞在中にならったダンスを見ようみまねで踊ったところ、それが大当たり。オファーが殺到し、サロンから始まってオランダ劇場イタリア・ミラノのスカラ座とヨーロッパ各地でデビューすることになる。またたくさんの愛人がおり、彼女や彼女の企業に莫大な資金を投入した。

 

#以下はこのころの彼女だと思いますが、パリのファッションリーダーなんですよね~。

 

#そんな中、1914年6月28日 サラエボでオーストリア皇太子フランツが暗殺され第一次世界大戦が勃発し、再び窮地となる。

 

そんなマタハリに近づいてきたのがドイツ領事。各地で興業し、各国の軍人ともコネクションがあったマルガレータに目を付け、諜報活動を持ち掛ける。コードネームH21として、フランクフルトで訓練を受ける。

 

 最初に彼女がスパイであることをかぎつけたのはイギリス。そして、フランスもH21というスパイが密偵していることを知る。

 

1916年マタハリに恋人ができる。ロシア人将校のウラジミール・ド・マスロフ大尉(←アルマンのモデルになった人でしょうか)。ウラジミール・ド・マスロフはドイツ軍の毒ガスで目を負傷し、ヴィッテルで療養している。彼のもとに向かうためには通行証が必要となる。その通行証を交渉したのがミュージカルにも登場するラドゥー大佐。実は彼はマタハリがドイツスパイの嫌疑がかかっていることは知っていた。フランスのスパイになることをもちかけ、マタハリがそれを承諾する。そして、ウラジミールの待つヴィッテルに飛び立つ。そして、フランス側も彼女がフランスが不利になる情報を提供しないように監視をつける。

 

そして、彼の読み通り、マタハリはH21だということが判明し、1917年2月パリに戻りエリゼ宮に滞在していたところ、逮捕される。

 

■裁判のときのマタハリ

 

そして、1917年10月17日に処刑。


 

この時代にあって、本当に強い女性だと思います。まず、姿勢が美しくて…。今、生きていれば、マドンナレベルの人だったんじゃないかと思います。

 

さて、雑感…。

まずは衣装について。

 

 ふと思い浮かんだのは映画「タイタニック」のこのシーン(↓)。このシーン、貴族の娘のローズが平民のジャックに助けられるところをイメージして作ったのかな…なんて思いました。そして、下の衣装はもろにレオナルド・ディカプリオのジャックの衣装を彷彿。当時の平民はおんなじようなかっこをしていたんだと思いますがね。(ちなみにタイタニックが沈んだのは1912年1月です)

 

 

 

そして、この胸と肩の露出具合から、「風と共に去りぬ」のビビアン・リーを思い出しました。

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このとき「昼から肌をだしてはだめ」と言われながら、メラニーの婚約者のアシュレーの気を引きたいばかりに胸や肩を露出したこのドレスを着ているんです。

 

 そうなんです。

 

マルガレータさん、出会う前から「落とす気満々」というのが、「ラストを【悲劇】にもっていくにはちょっと違うんじゃないか」と私的に思った次第で…汗

 

 

ちなみに、この映像をみたら、実際のご本人のほうが魅力的に見えました。

 

セットに20億かけたうちの2億でいいので、もう少し衣装やヘアスタイルにも気を配ってほしかったなぁって。セットといえば、1部の終わりにアルマンの乗った飛行機が飛び立ちますが、なんで、大きくつくっちゃったんでしょうかねぇ。

 

 

 

遠近法的にもこのくらいの大きさでよかったのでは。。。

(出展:ミュージカル「チキチキバンバン」)

 

だって、いくら奥行きがあるからって舞台に全部入るわけないじゃないですか。真上から見た飛行機をバックにマタハリが絶唱しますが、個人的には

 

「…ショック

 

 

 遠ざかっていく飛行機に向かってマルガレータさんは歌っているはず。去りゆく恋人を思うのだったら、観客にも同じ視点でみせてほしかった。次回見るときは以下の絵を思い浮かべてみようかなと思ってます。

 

(出展元:20世紀FOX「風と共に去りぬ」)

 

 

 

ではでは。

 

■関係資料

  1. Wikipedia(日本語
  2. Wikipedia(英語)
  3. About MATAHARI(英語)  
  4. 【afpbb.com】美人女スパイ、マタ・ハリの生家焼失 オランダ(2013年10月20日)
  5. 18 Mata Hari biography (英語) 
  6. Bio Matahari(スペイン語)

 ■追記

3演目でミュージカル主宰から史実関係の画像がアップされました。