【美術】ボッティチェリとルネッサンス | いろいろといろ

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 以前から行きたいと思っていたbunkamuraで2015年6月28日まで開催している「ボッティチェリとルネッサンス」に行ってきました。
 
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Pen (ペン) 2012年 1/15号 [雑誌]/阪急コミュニケーションズ

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 ・生年月日: 1445年3月1日
 ・生まれ: イタリア フィレンツェ
 ・死没: 1510年5月17日, イタリア フィレンツェ
 ・ボッティチェリのパトロンはロレンツォ・メディチ
 ・後にレオナルド・ダ・ヴィンチも師事するヴェッロキオ工房で師事を受けている。

 ぐらいのことをざっくり頭に入れて、展覧会に臨みました。

 海外の美術館によく行きますが、これだけサンドロ・ボッティチェリ関係の絵画が一堂に集まり、その人の人生を見るような展示会はわかりやすくていいですにひひ
 
 背景として、十字軍後、フィレンツェで貨幣の流通が盛んになったことから始まります。そこには3.56グラムをきっちり測定されたフィレンツェのフィオリーノ金貨、フィオリーノ銀貨。今見ても輝いており、眼福でした。
 
 メディチ家が発達したのは広い範囲に支店を持ち、預かったお金を手形にして、各地の支店でそれ相当のお金を出すことができるようにしたことだそうです。このことで、持っていくお金が少なくなり、効率的に旅をすることができるようにしたことだそうです。
 そして、メディチ家で芸術家の庇護に努めたのは、ロレンツォ・メディチ。この方のサロンは当時の各分野の一流の人たちが集まっていたようです。自身もヴィオラの弾き語りの名手だったそうで。彼の趣味が講じて編纂した「三声と四声のための歌曲集」も展示されていました。カラフルで紙質もよいので、当時としたら、とてもお金がかかっているように思いました。音楽家のハインリヒ・イザークとも交流があり、43歳で逝去したロレンツォにレクイエムを送っています。

 今回のポスターになっているのが、「ケルビムを伴う聖母子」。
20代、独り立ちをしはじめたころの作品だそうです。



 ロレンツォに庇護のもと描かれた華やかな女性像。
 
 そして、1492年のロレンツォの死後、「1494年フランス軍が侵攻してくる」予言した修道士サヴォナローラに信望が高まりました。メディチ家はフランスへの対応を誤ったことからフィレンツェを追放され、サヴォナローラが共和国の政治顧問となって政治への影響力を強め、神権政治が行われることになった。
 
 このときから、ボッティチェリはサヴォナローラに心酔し、画風も変わっていったようです。1500年以降の晩年の作品とされる「聖母子」が3点ありました。
 
 …もともと線が固いところがあるとこに、まるで人形のように生気のない絵柄のように思えました。

 晩年は注文もなくなり、ひっそりと息をひきとったそうです・




 今回は、初めて知った画家はフレンチェスコ・ボッティチーニ(1446年~1497年)。名前がボッティチェリと似ていたんで、関係あるのかなと思っていましたが、そうでもなさそう・・・。

■「幼児イエスを礼拝する聖母」



 特に美しかったのはこの絵。波打つ金髪、少女のような表情。こんな絵を描く人を今回の展覧会で紹介してもらえてよかったです。

■ 「大天使ラファエルとトビアス」



 当時銀行家は息子を10代のうちに旅にだしたそうですが、その旅路の成功を祈って描かせた主題少年トビアスが左手に持っている魚は魔除けだそうです。


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