昨年から今年の初めまで、19世紀のイギリス絵画の展覧会が多かった。その中でも地味ながら、心に残った展覧会が、夏目漱石の美術世界展
 
 夏目漱石ゆかりのイギリス絵画の中で、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス「シャーロットの乙女」という絵にとても興味がありました。

 The Lady of Shalott、シャーロットの乙女はアーサー王伝説のひとつで、アルフレッド・テニスンの詩節で唄われている女性です。
 
 彼女は、外の世界を直接見ると死ぬという呪いをかけられているため、来る日も来る日も狭い塔の中で、鏡が映す景色をみながら、タペストリーを降り続けます。
 そこに、アーサー王伝説でも屈指の美男子、アイドルである騎士ランスロットが川のほとりで歌います。その歌声を聴いた姫は思わず、直接、かの騎士を見てしまいます。

(テニスンの一節)
Out flew the web and floated wide-The mirror crack'd from side to side;"The curse is come upon me," cried The Lady of Shalott.

 織物は飛び散り、
 鏡は横にひび割れて、
 「呪いは我が身に」
 とシャーロットの乙女は叫んだ

この瞬間をとらえたのが、この絵。
 
■John William Waterhouse's The Lady of Shalott Looking at Lancelot
Oil on canvas; 142 x 86 cm
Location: City Art Gallery, Leeds, England


 画面、中央にある鏡には騎士ランスロットが映っていますが、上のほうにひびが入っているのが見えます。この絵を初めて見たのは、社会人1年生のとき。一緒に見ていた友人は、

「狂っている…狂った女の目だわ…」

 と言っていました。




 当時、彼女の言った言葉を本当に実感できていなかったのですが、特に韓流のイベントに行くようになってから、彼女の言った意味がなんとなく実感できるような。もちろん、韓流の森の中にはまりこんでしまった友人も数人いるのですが、
 
 「あれ、こんな人だったっけ」
 
 なことを感じることが多くなりました。昨年までは、「あの人はあの人、自分は自分」他人事だったんです。

 ところが、最近、その友人の言葉もなんだかわかるような気がしてきました。
 今までは、なるべく「見やすい席」ということを思っていたのですが、「より近い座席」を求めている自分…。

 なんでしょうか…。
 この心をかきたてるものは…(^^;。

 鏡をネットやテレビに置き換えると、実はシャーロットの乙女現象が自分に起きているのじゃないかと思うのですよね。まさに「おたく」というのか「まわりがみえなくなる」という呪いが私もふりかかってきたのかもしれません…叫び


 まんじゅうこわい…もとい、韓流こわい…です。

 



 で、このテニスンの詩の一節をタイトルにしたのが、アガサ・クリスティーの「鏡は横にひびわれて」
 
 この中で、事件を解決に導く、マープルさんはこんなことを言っています。
 
「たいていの人は一種の防御本能を持っているものよ。相手によっては、相手の性格によっては、こういうことを言ったり、してはいけないと悟るだけのかしこさがあるわ。ところが、アリスン・ワイルドは自分以外のことなんか全然頭になかったわ。自分のしたこと、見たこと、感じたことは話すけれど、ひとの言ったことや、したことを口にしたことのない人間だったの。人生がまるで一方通行の道路みたいなのよ。-自分がその道をあるいていくだけ。そういう人にとっては他人は、…そうねぇ…、部屋の壁紙程度にしか思えないのよ」

 この小説が出版されたのは1962年で舞台は1953年ごろのロンドン郊外の新興住宅地。日本でいうなれば、高度経済成長期の多摩ニュータウンでしょうかね。

 …でも、いますよねぇ…今も。

 自分の関心のあることだけで、ほかの人のいうことを全く聞かない人、または見えていない人っていますよね。
 
 「それ、ここで話して、大丈夫?」と思うことはけっこうあります。

 自分の周辺や関心の近いところしか心のレーダーがないんでしょうね。そして、そのレーダーが映すものによっては、シャーロットの乙女のように、死の川べりにただ向かうしかないのかもしれないなぁ…なんて。

 物事を測るレーダー、どこにおくか、いくつおくか、どれだけの大きさにするかってのは、強く心にイメージしていかないと、なかなか難しいものだなぁと思いますねぇ(^^;。




…そんなかんなで、今は一番いい心の在り方を模索中…ニコニコ


ではでは。



■関連リンク
夏目漱石の美術世界展
あおぞら文庫-シャーロットの乙女