#実は東京ビッグサイトの中で迷ってしまい(←こら、方向音痴!!

■実は言葉はデジタルなもの
動物は変化によって、時間と経過を知ります。ですから、人間が最初に手に入れたものは、「昨日」と「明日」の概念です。次に手に入れたものは「数える」こと。なんとなく量をデジタル化するようになりました。それを一歩進めて「言葉」を手に入れた。言葉って「デジタル」と思われないかもしれないが、実は「デジタル」なものなんです。
■言葉の数だけ人間は豊かになる
-生と死は対語でない-
生と死は1セットで対語で考えることが多い。でも、生と死を考えると、実は「誕生」の反対が「死」。この「生」と「死」の考え方によって、「死後の世界」が考えられるようになったのです。
#本来、「(誕生)-生→(死)」であるのにも関わらず、「生」と「死」が対として考えられているために、「生の世界」→「死の世界」というイメージができてしまった。
-文字はすごい発明-
虹、日本では七色。でも五色と考える国もある。デジタル化するときにカットされてしまう。日本の色見本を見ると、実に細やかに色がついている。言葉がなくなると「色」の認識もなくなる。言葉の数だけ人間は豊かになる。ふさわしい言葉を知っていれば、表現できる。言葉の世界を広げるには、何が一番いいか。
それは本を読むことなんです。
文化が枯れるとは言葉がなくなるということです。言葉がなくても世界はあるが、人間は言葉で世界を認識しています、これが「世界の半分は書物(=言葉)の中にある」ということなのです。
■小説は読まれて始めて完成する
文は頭の中で整理されていないと、文は書けない。整理されていて、語彙があれば書ける。
ビジネス文も文学も同じなんです。伝えるものが違うだけです。ビジネス文書は簡潔に、文学はグレーなところ、どうとでもとれることを多くするように書く。なるべくいろいろな人にいろいろに思えるように書くことが必要です。
読書は全て誤読です。
作家の意図が100%伝わることは絶対ありません。なぜなら人によって持っている語彙が違うからなんです。本は作家だけじゃないデザイナーや印刷屋、編集者など様々な人たちの努力の結晶であり、その代表者として作家の名が記載される。しかし、それだけでは本は完成しない。読者が最後に参加することで本は完成するんです。
本には人それぞれによって無限の解釈が存在します。無限の解釈を生む読者によって本は完成するのです。今、僕たちが生きている世界の他にも、僕たちは読書によって無限の世界に飛び立つことができるんです。これが「世界の半分は書物の中にある」のもう一つの意味なんです。
小説は読まれて始めて完成します。
作者は落ちていたら、踏んだっていい。
文芸評論はそれを書いた人の読み方です。「この本からこんな風に読み解ける」という一例です。他の人の批評に左右される読み方をしなくてもいいんです。
■「読書」という無限地獄へのお誘い
おもしろくないものでも、面白くなるまで読むんです。何でも食えたほうが人生楽しいですよね。文章も同じです。苦手なものがあれば、徹底して読むんです。
この世に面白くない本はない。
時刻表も電話帳もよめば面白いんです。
本の地獄は抜けたくない無限地獄です。実は私は作家としてではなく、無限地獄にはまったヘビー・ユーザーとしてここにいる!!!!。今回は何千冊という書籍がここで紹介されています。どうぞ見ていってください。
この講演会で一番心に響いたのは「この世に面白くない本はない」という言葉です。根底にあるアプローチはそのとおりなんですが、そのときの事情は自分の理解によって、けっこう世界がせばめられている感じです。
ただ、こうやって文章で改めて氏の言葉を振り返ることで、これからの冒険が楽しくなるのかな…なんて思っております。
ではでは。
■関連リンク
第20回東京国際ブックフェア
第19回東京国際ブックフェア
■京極夏彦の処女作
私はこの作品にショックを受けました。↓
ただ、氏の作品は重くて持ってあるくのが大変。最近電子書籍が広まってきたので、ほんとに助かっています(笑)
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