私、大阪人なのにまったく知らなかったのですが、あの真田幸村の子孫がまだ生きていらっしゃいました。大阪夏の陣で一族郎党ほろびてしまったとばかり思っていたのですが、なんと、彼は大阪城落城前夜、徳川方の家臣で伊達家の先陣を切って馳せ参じた片倉小十郎重長を見込んで、自分の子供たちの阿梅、穴山小助を託していたんですね。重長は律儀にも、ほかの場所にいた阿菖蒲、おかね、大八も探し出し、この白石城でこっそりと養育したと伝えられています。
戦いの中で得た敵との絆・・・
もし私が真田だったら・・・敵の大将に自分の身内を託すなんて考えないだろうし、片倉であったとしても、敵の身内をかくまうなんてことは考えないと思うのですが、このエピソードを聞いて、この方の実直でありながら、大きな器とその知勇に感動しました。
後に、大八は片倉四郎兵衛守信と名乗り、片倉家家臣からのちに伊達藩士にとりたてられ、1712年、息子の辰信のときに真田姓に戻ったそうです。
ふるさとの大阪から1000キロ以上離れたところで、こんなにすごい歴史の逸話に出会うとは

白石市のシンボルの白石城は1997年 3月に三階櫓(天守)・大手の一ノ門と二ノ門・土塀の復元工事が完了しました。ですが、2011年3月11日の東日本大震災で壁の崩落など1億円超の被害があり、文化財などには指定されていないため補助金が出ず市の財政と募金や寄付金などで復旧を行っていたそうです。
私がいったときは、ちょうど復旧が終わったところだったようです

■白石城




■白石城内部




■白石城、本丸から望む蔵王山

■周辺の紅葉
(ページが重くてすみません






■温麺(うーめん)
そして占めは白山蔵王駅にあった温麺屋さんで山菜温麺をオーダー。

お疲れさま~>私