その昔いじめられっこだった私としては、どちらかというと、「いじめている君」のほうもフォローしないといけないのでは・・・と思い、拙文をブログに残してみます。
昔、その昔、小学校に入学したての頃、私の隣にはひどい虫歯の男の子が座っていました。で、1学期の半ばになると、わくわくの給食が始まりました。月曜日は必ず8枚切りの食パンでした。小学校なので、給食を残すことはかなり厳しく注意されるわけです。
すると、あるとき気が付くと、私の足元に食パンの耳が落ちていました。
「あ、パンの耳落してる!」
と、隣の虫歯くんが大きな声で言いました。すると、私のもう一方の隣の女の子が、
「そんなことしたらあかんやんか」
と大騒ぎを始めたんですね~。
やむを得ず、私は、人の食べた後で床に落とされたパンの耳をハムハムと食べざるを得ず・・・。
当時、まだ6歳だったので、どう対処していいかわからず、目に涙をいっぱいためて、食べていたのを思い出します。たぶん、人生初めての「涙の味がするパン」でしたね

実は、それは毎週月曜日になると、同じことが起こって、毎週、たぶん10回くらい、私はその子の落としたパンの耳を食べさせられたと思います。当時はクラスの人数が多く先生の目が届かないクラスでした。私には全然、味方がいませんでしたが、私の両隣の虫歯くんとその女友達は結託していたので、ぜんぜん、先生には私の話を信じてもらうことができませんでした。
また、そういうことはだんだん波状効果が出てくるもので、クラスの子全員が嫌がらせするようになってしまいました。水着を隠されたり、靴を水たまりに放り込まれたり...。たぶん、そのころの子供が考えうる限りの嫌がらせをされたのではないか~と思います。
でも、あるときから、ぴたりと止まりました。
2学期になると、席替えがあったのです。
当然のことながら、同じ事件は起こらなくなったので、自ずと潔白が証明されてしまいました。
で、私は3学期に転校してしまったのでありました。
「自分の言っていることが信じてもらえない」
「誰かに故意にねじまげられてしまう」
...なことの不条理さをわずか6歳で経験してしまったので、ある意味、抵抗力がついたような…。
社会人になってからは、いろいろと利害関係がある中で「うちのグループにいらない」なんてことを言われたりしたこともありますが、自分をまったく追い込まない程度に聞き入れるくらいのタフさを手に入れたつもり

ところで、件の虫歯くん、今はどうしているのか…。
パンの耳が嫌いだったのは歯が弱くて顎の力が弱かったからなのかなぁ…なんて思うのです。きっと、今でも変わらず、偉くなっても不都合なことは人に押し付けることは変わらんだろうなぁなんてのを想像しています。
ところで、そんな虫歯君みたいな人がそばにいたら、あなたどうします?もし、あなたの上司だったら?
きっと、あなたは正しいと思うことを言うことや実行できなくなると思うんです。
でも、それって本当は組織にとっては、とても不利益なことだと思うんです。何か問題があったとき、TPSでいうところの真因を特定できず、その組織は何度も同じ過ちを犯すことになると思うんですよね。
そして、虫歯君は、自分が成長するきっかけを逃してしまったとすると、誰にも自分の過ちを肩代わりさせることができなくなったとき、自分を幸せだと思うために、自分が他人より優位だと思わせるために、自らを歪んだプライドの檻に閉じ込めて、頑張らざるを得なくなると思うんですよね。
で、屈折した炎は、その炎を吐き出す「正当な理由や生贄」を見つけたとき、その炎で生贄を燃やしつくしてしまうような気がするんですね…。
いじめられている子供を励ますのと同時に、なぜ、そんなことが起こっているのか、子供たちのフラストレーションは何か…を周囲の大人たちがフォローしていかないと、20年先にはその子供をとりまく人々が、50年先には国自体が壊れてしまう…そんなことを老婆心ながら、危惧してしまうのでした。