当時、知り合いで、神戸新聞社を担当していたコンピュータ会社の営業から、当時の状況を聞いていました。そのときはそのコンピューター会社の支社も倒壊してしまって、書類も何もかも取り出せなかったそうです。当時の神戸新聞社の社屋の写真が紹介されましたが、想像以上ですね・・・・。
暗闇の不安の中、2日目、カメラマンたちは争います。
「デスクに残れ」といわれた金井(萩原聖人)は
「5年、10年たったらみんな忘れる。撮るしかないやろ!」と出ていく。
どうしても被害にあった人間を撮れない三津山(櫻井翔)は「よく人間とれますね!」と叫び、
陳(田中圭)も「撮られるほうの気持ちを考えたことがあるんですか!」と殴りかかる。
その当時、山根編集長はそんな彼らをだまってみていたそうです。現在、このときのことをこう語っています。
「あまりにも悲惨な状況を見てですね、カメラを構えてその状況をメモして、それでいいんだろうかという彼らのその人間の心の痛みみたいなもの、大きな取材の壁に毎日突き当たっていたんじゃないかなという・・・。それこそ本当に生身の記者だと思いますよ」
生身であるからこそ感じられること、記者にとってそれが命だということ・・・・なんですね。
頭ではわかっていても、こういう視点をもって後輩を育成している方々は、どのくらいいらっしゃるんでしょうか・・・・。
ドラマの最後に紹介された読者からの手紙には号泣しました・・・・。
その人は神戸新聞の読者ではなかったのですが、あるとき、車の窓を叩く人があったのだそうです。
「神戸新聞読んだって。お金はいらんから」
なんでも配達する家が倒壊してしまい、配達先がなくなって余ってしまった新聞を、新聞屋さんが、「記者の人たちが一所懸命に地べたを這って書いてくれた記事だから」というので、道行く人に配ってあるいていたんだそうです。手紙を書いた人は一気に神戸新聞を読み、それで手紙を送ったそうなのですが、その販売する人も、心ない人であれば、その新聞を捨ててしまったたっておかしくない状況だったと思うのです。
でも、その中の記事はきっとみんなに読んでほしいと思ったから、そうやって配ってくださったんですよね。
生身で、地べたを這って、迷って、葛藤して探し当てたもの・・・・。
それが被災した人のみんなの言葉なき声なき心だったんだと思います。そういう生身の迷い、地べたを這って、本当のことに向き合うことが、あったかくて強い絆を結んでいくんだなぁとしみじみと思いました。
あと、4時間で15年目です。震災で亡くなった方のご冥福をお祈りします。
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