変わる勇気 | SPIN-OFF

子どもの頃は三日坊主が当たり前だったのに

大人になってからは続けることばかり得意になって

いつの間にか何かを辞めることの方が難しくなった


石の上にも三年だとか、継続は力なりとか、日本の文化は継続することを美学としている節があるけれど、そもそも誰がそれを美しいと決めたのだろう


気がつけば、失敗や間違いを恐れるようになった

失敗することは恥ずかしいと、間違えることは非難を浴びることだと思うようになった


続けることで得られる信頼がある

経験という実績を積み上げれば、それはない人と比べて遥かに安心感を与えるだろう

リスクを避けるために、人は経験や実績を重視したがる

そして人から選ばれるために、人はリスクを避けたがる


経験とともに同時にのしかかる、今まで積み上げたものを失う恐怖

果たして積み上げ続けることが正しかったのか、その正誤さえ明確にすることを恐れて、人は立ち止まることも引き返すこともできなくなる


もっと良い選択肢があったかもしれない、そう思いながらも今さら引き返せないと歩き続ける

或いは途中でもっと良い選択肢を見つけたかもしれない、そう思いながらも違っていたらどうしようと歩き続ける


また何かを一から積み上げる勇気や気力も、正解かもしれない何かを発掘する体力も持ち合わせていないからだ

そうして引き返すことを選ばず、惰性のままに、または疑問を抱きながらも、曇りまなこで今日もまた、同じ場所で、同じ人と、同じ事を繰り返す


人は変化することの避けられない生き物だ

誰かと、何かと出会い、影響を受け変化していく

出会いがなかったとしても、老いることで変化していく

または変化しなかったという経験をして変化していく


変化するのは自分だけでなく他者も同じだ

変わりたくないと思っていても変わってしまうのが人だ

生きているから、時間が流れるから、人は変わる

自分だけが変化に逆らおうとしたところで、他者も同じ条件で変わっていくのだから、変わらずにはいられない


昔食べられなかったものが食べられるようになるように

いつか好きだった何かが今ではもう好きではないように

相手が変わらなくても、自分が変わることによって相手の見え方が変わったり、相手が変わることによって、相手の見え方が変わることだってある


文化として変わることを恐れるのは島国にいるからだ

他民族が行き交う国であればこうはならなかっただろう

自分とは違うものを受け入れる力に乏しい、

人と違うことや常識から外れることを恐れる

染みついた民族的教育を受けてきた


そもそも変化とは成長のひとつだと思う

何かを始めたいのも辞めたいのも物足りなく感じるのも

現状に対して満足か不満かの違いだけで、

どれも自分にとってよりよいもの、またはさらに上を目指したいという気持ちの表れであり、思考停止するよりよほど建設的で幸福な変化なはずだ


そうと分かっていながら、踏み切れないことを幸せになれる保証がないからと知ることのできない未来の可能性のせいにしたり、誰かに迷惑をかけるからと誰かのせいにしたり、自分の人生のことなのに、まるで他人事のように知らない顔をしてしまう


そのときの自分にとって本当に手放したくないものだけ抱えられていれば、後悔することなどきっとないのに


違うかもしれない、そう思いながらやり過ごしても、感じてしまった違和感が消えることはそうない

先延ばしにして手遅れになるのを待っているだけ、

疲れるから、諦めた方が楽だから、そんなところだ


でも、たとえ人生が自分のもので、たった一度きりだとしても、穏便にやり過ごすのも個人の自由だ

自分のことより他人のことを本気で優先する人もいるし

自尊心を下げてでも他人に従うことを選ぶ人もいる


幸せとは誰かと比べるものではないし、誰かがこうあるべきと決めるものでもない

分かり合えないことのほうが多いに決まっている


自分にとっての幸せとは何か、本当にそれが自分にとって必要なのか、それを問い続けて生きていく

そのときの自分がやりたいことを、ほしいものを、追いかけて生きていく


遠慮した人から誰かの食い物にされるくらいなら

空気は読めても読まなくていいと知った

多少図々しいほうが、自由に生きていけると知った

そんなことに気がつくまで30年もかかってしまった

いや、30年で気がつくことができた、が正しい

まだ先は思うより長い、そしていつだって気がついたその瞬間が一番早い


変わることを恐れないこと

始めることだけじゃなく辞める勇気を持つこと

本当に選びたいものを選び大切にすること

その生き方が自分の幸せの一つだ