ゆっくりゆっくりと自分を押し広げているような感覚
自分の正しさに自信があるときであっても
それでも相手に合わせる、相手に譲るということが少しずつできるようになってきた
小さい頃からずっと、嘘や不義理や曲がったことが嫌いで
生きるために必死で、気がつけば行動力は身についていた
でも、誰もが正しいことを選び、行動できるわけではない
そう気がつくことにも、受け入れることにも時間がかかった
自分にとっては、想いの強さこそが行動の原動力で、時にそれは愛であったり、夢であったりした
想いが強ければ行動として実現できるはずで、
逆を言えば、行動できないということは想いもそれほど強くないのだとする方程式が、自分の中では完成していた
いや、もしかするとその方程式は今も昔も正しくて
本当の違いは、そもそもどれだけ強い想いを抱けるかにあるのかもしれない
どちらにせよ、それらが必ずしも自分と同じではないとようやく理解して、大切なのは正しさではないのだと知る
果たしてこの広がっていく自分というのは、どこかで破れてしまったり、痛みを伴うことがあるのだろうか、なんてね

