ブログにご訪問くださり、有り難うございます。
今日は、2015年初頭にあたり、私の仕事(今後も含め)についての想いを書いてみます。
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模索して行き着いたオーストラリア
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バブル期に大学生だった私。
大学4年生の春。なぜかいきなりインドに行きたくなり、
人生観がひっくり返りました。
22歳の自分が漠然と抱えていた幸せの概念が吹っ飛びました。
その後の就職活動で、「我が社の歯車になってもらう」と言うような面接にすごい違和感を覚えてしまって就職せず。。

当時なりたかった教師の仕事も、教育実習で
「現場に入る前に、外の世界を見たい」という気持ちが強くなってしまい、教員免許を取っただけで、採用試験を受けませんでした。
大学にはヘッドハンティングも来ていたし、一流と呼ばれる所に就職してゆく人も多くて、私何やってるんだろう

。。と焦りながら日々が過ぎ。
学生時代に行ったオーストラリアで衝撃を受けたアボリジナルアートをもう一度見に行こう、とふと思い立ったのです。
(色々な場所の壁画を見て感動!)
これ以上親に金銭的な迷惑をかけられないと、ワーキングホリデーを利用しました。それが1990年。
まさか、オーストラリアのその後20年以上も住むとは夢にも思わず。。
ワーキングホリデービザが切れた後、日本でファンション関係やDTP制作会社で働き、1993年に結婚、移住しました。まだ25歳でした。
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ないなら自分で作ろう、と単純な気持ちで起業。
そして16年後に終止符。
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当時、ダンナが貨物船の操縦士をしていて航海に出てしまうため、1年の半分は不在。
よくわからないケアンズで、
日本語の情報誌があったらいいのになあと思いました。
そういえば、日本でDTP(本や印刷物の版下をマックで作る仕事)やってた。。ということで、自分で作ることにしたのです。
何もわからず、コネもない、20代の外人の女の子が

。(恐いもの知らずだからできたんですね)
起業後は、それは色々なことがありました。。
(メディアアワードをいただいたり、日本の媒体でも紹介していただいてました。リビングインケアンズさん、現在も進化中です)
編集の仕事はとても楽しくて、
ケアンズのいいところを皆さんとシェアして、滞在を楽しんでもらいたい、という一心で16年が過ぎました。
(ありがたいことに、本も出版させていただきました)
クライアントさんには、
Your Window to Japanという気持ちで接していたので、販促物の制作やイベントやコラボ企画など、色々と頼まれるようになって、仕事は情報誌制作以外にも、自然に広がって。
その間、2人の子どもを授かり。
脇目もふらず走り抜けた30代でした。

でも、2011年、思いも寄らない変化が訪れます。
父親のガン余命宣告を受けたのです。
悩みに悩み、やっぱり最期の時を一緒に過ごしたい、とビジネスは手放すことにしました。
(チームが携わった最後のイベントは、東日本大震災のチャリティでした)
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本当の豊かさって何だろう?
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私が日本にいたのは、ちょうど東日本大震災の直後で、混沌とした、でも新しい価値観が生まれつつあった頃。
自分自身はパニック障害になってしまい、色々な意味で「命」と向き合う半年間でした。
ケアンズに帰ってくると、外国で大量生産されたモノが山積みされているお店が目に付き、何か違和感を感じました。
そして、
「自分らしく誇りを持って生きる姿」を見せてくれた作り手の方たちと、上質な品を求める方々を結ぶ場を作ろう、と2014年4月、
地元産のモノを扱うお店の開店に踏み出したのです。
実店舗だけでなく、作り手さんの想いに共感したモノを、
日本へ輸出する仕事も始めました。

編集者時代に、
「自然と共存する」「本当に体にいいモノを少しコストがかかっても作る」「 売り易さを考慮するのでなくて自分の信念でモノを作る」 …といった方々の姿を見てきた私。
生きてゆくのにお金はもちろん必要ですが、 こうした出会いは、本当の豊かさについて気づかせてくれたのですね。
(神田うのさんもご来店くださいました。キラキラしてました)
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情報誌を作ったのも、お店を開いたのも、
異文化体験が「自分らしさにGoサインを出してくれる」と知ったから。
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私は昔から外の世界を見てみたい、という気持ちが強くて、海外文通したり、鎌倉で外人さんをガイドしたり、旅行に行ってみたり、様々なことをしていました。
「女の子のくせに」とか「経験もないのに無理」とか、言われ続けてやり辛かったことも、異なる肌の色の人がそれぞれ自然に、堂々と生きている姿を見ているうちに、「自分のままでいいんだ」と思えるようになり、楽になりました。
その土地の空気や、その土地だからこそ生まれた文化や人々の暮らしぶり。
観光地を駆け足で訪れるのも良いけれど、そんなことを感じて、自分の在り方の再確認だったり、日本の素晴らしさに気づいたり、どんなことでもいいから、皆さんの心が少しでも豊かになる一瞬があるといいな、と。
情報誌を立ち上げたのも、お店を開いたのも、そういう気持ちが根底に流れています。
だから、会社のモットーは「ハートに響くオーストラリア異文化体験のトビラ」。

思いがけず人生の半分近くをオーストラリアで過ごしている自分。
ヒーラーではないし、資格もないけれど、ケアンズで起業して子育てしてきた私ができるのは、異文化に触れていただく場を提供することだと思っています。
そして、異文化体験や、ケアンズの大自然に癒されて、私のように、自分のフィールドで自分らしく生きていい、と気づく方が増えたら、これほど嬉しいことはありません。
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日本の復興と、女性が輝くこと
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何故それが嬉しいんだろう?と自分に問うたら、「日本が日本らしくあるために」という言葉が浮かびました。
2011年、全てが無くなってしまった後、伊勢神宮に初めて行きました。
そこでの私のご祈祷内容は「日本復興」。
何と大それた!と思いましたが、その言葉が出てくるので仕方ありません。
海外にずっといるせいか、日本人の洗練さ、他を想う優しさ、許容力、勤勉さ。。様々な素晴らしさがよーくわかります。
色々な時代背景で、忘れ去られていることもあるけれど、本来私たちが持っている大和魂は、それは崇高なものだと思います。
だから、私たち1人1人が自分を取り戻したら、国全体が光る。
更には、女性が自分らしく在ることが、この国や、世界の平和にもつながると信じています。

だって、女の人が生き生きと本来の優しさを持って周りに接していたら、家族も友達も仕事仲間も嬉しいでしょう。
私は自分ができることを通して、日本の女性を応援したいと強く思っています。
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2015年、新たに始めること
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パウチというお店は、不思議なことに、ヒーラーさんがふらっと立ち寄ってくださったり、お客様にもよく「ここ、癒される」とか「居心地がいい」と言われます。
そんな方々とお話するうちに、自然と、ケアンズで癒されたり、自分回帰のヒントとなるようなストーリーをシェアしてゆきたいな、という気持ちになってきて。
「ケアンズ癒しと気づきのオンラインメディア」の準備を始めました。
今まで私が出会った方のこと、癒されたスポット、あとはケアンズを楽しんでいただけるよう、お店やレストラン、サロンの紹介などを、同じ気持ちを持つ現地の女性たちと、無理なく発信してゆきたいと思っています。
(インターネットって便利ですね。。)
今後はブログやメルマガでも、そのエッセンスをお伝えできたらと思っています。
(メルマガのご登録はこちらからできます。よろしかったら。。)
長文お読みいただき有り難うございました。ハッピーの輪が広がるよう願いつつ♥