今日の例会で、ある朋友断酒会の会長が、節酒で行くと言っている人を受け入れるかどうか、という話をしていました。確かに、
酒を止めたくてもやめ切れなかったり毎日必死の我慢の断酒を続けている中で、酒を程ほどにしたい人ではかなりの落差があるのです。
まだアル中ではないのだけれど、自分の酒の飲み方に危険を感じる。だから節酒したい、だけど一人ではなかなか難しいものがある、そんな意図で断酒会の門をたたく人もあるようです。確かに正しい判断だと思います。節酒できるうちにそれを身につければ、もう二度と酒を飲めない、ということにはならなかっただろうに、という悔恨を私は持っているからです。
また、全日本断酒連盟「断酒会規範」八.断酒会は酒害相談はもとより、啓発活動を通じて社会に貢献する。
として 断酒会は酒害者の最後の一人も残さないという大目的を持つ組織である そう言っています。
とすれば、節酒でアルコール依存症を未然に防ぐことを援助するのも断酒会の目的ではあるのです。
そして、先に出てきた会長は、節酒者も受け入れたいと思っているようでした。酒の問題を解決したい、克服したいという思いがある以上、受け入れたいという事でしょう。
でも、一滴でも飲んでしまったら、また元の木阿弥だから、「笹の露とて飲まない」と言う思いで努力しているのと、少量の酒で抑えたい、ではあまりにも落差が大きすぎて、仲間とも言えないのではないかとも思います。
全断連は一時的な酒の乱用者、問題飲酒なのに適正飲酒だと思い込んでいる人飲み方の将来に不安を持っている人、などを啓蒙するのも断酒会の役割だと「規範」は指摘しています。が
これは例会とは別のレベルの啓蒙活動であるべきだと思います。
ここは断酒会ではなくて節酒会とでも言う集まりが節酒指導をしている医療主導ででも作られるべきなのかもしれません。